ニセモノ夫婦~契約結婚ですが旦那様から甘く求められています~
「お父さんまでいなくなるかと思った……」

 父の手を握り、ぎゅっと力を込める。

 温かい。生きている。

 確かにここにいると実感して、安堵感が身体中に広がった。

 一時はどうなるかと思っていたけれど、本当によかった。

 すると、カーテンの隙間からあまく光が差し込む。父の胸もとには細長い陽だまりができていた。

 もう朝か。一度帰って、入院に必要なものを持ってこないと。

 名残惜しいけれど、立ち上がる。

「あ、会社にも電話しなきゃ」

 はっとして、カーディガンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。しかし、私は真っ暗になったままの画面を見つめて固まる。

 そうだ。私、契約を切られたんだった。あとは満了日まで有休消化でいいよ、なんて言われたときは、そんな無茶苦茶な。引継ぎだってあるのに……とはらわたが煮えくり返ったけれど、今となっては心置きなくお父さんについていてあげられるのだから、なんとも複雑な気分だ。まぁ、これはこれで、好都合だったと思うしかないよね……。

 まだ部長のニヤケ顔を思い出すとどうしようもなく腹が立つ。お店のことやこれからのことも心配だし。でも、お父さんが無事だったのだからそれでいい。

『生きていればなんとかなる。失ったものを悲しむばかりじゃなく、今あるものに喜びを感じろ』

 これも父がよく言っていた。

 私も頑張らなくちゃ。

 ひとり気合を入れてうなずいた瞬間だった。静かな病室に、突然聞き慣れた音楽が鳴り響く。私は驚いて小さく跳ね上がった。
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