さざなみの声


「えっ? それで、お母さま大丈夫なの?」

「うん。今は落ち着いてる。立ち話もなんだから飯、付き合わないか? もう腹ペコなんだ」

「彼女と、お食事したんじゃないの?」

「今夜は親戚が集まって、お食事会だそうだ。それより美味しい天ぷらご馳走するから。はい、車に乗って……」

 近くに停めてあった車の助手席のドアを開けて腕を引っ張られて無理やり乗せられた。

「知らない人が見たら誘拐だと勘違いされるわよ」

「大丈夫だよ。僕たち付き合ってますって言うから」

「昔の話でしょう? 今は違います。お巡りさんが来たら知らない男性に無理やり車に乗せられましたって言うから」

「どうぞ」
 そう言ってシュウは笑ってる。

 シュウの笑顔見るの久しぶりだなぁ……なんて。私は何を考えているのか……バカみたい。運転してるシュウの横顔を見るのも久しぶりだ。あの頃のバイトして買った安物の中古車とは違う。良い車に乗ってるんだ。

 あの時、夢を諦めたくないなんて意地を張らなければ、この助手席は私のための席だったんだろうか。

 シュウは、しばらく走って駐車場に車を停めた。

「はい。着いたよ」

「うん……」

 老舗の天ぷら屋さんのたたずまい。店に入ってシュウは

「天重の上二つね。そこの座敷いい?」

「はい。どうぞ」
 と声が聞こえた。

 靴を脱いで、お座敷の個室に入って障子戸を閉めた。

「ねぇ、お母さま、どうなの?」

「うん。あの日、約束の時間に間に合うように出掛けるつもりでいた。そうしたらキッチンで母さんが倒れてて声を掛けても意識もないみたいで慌てて救急車を呼んだ」

「それで?」

「親父はゴルフで朝から出掛けてて、知ってると思うけど兄貴は海外勤務で家族でシドニーだったし僕しか居なかった。とにかく病院に着いて一人で待ってたんだ。診断は脳梗塞。かなり危険な状態ですと言われた。このままかもしれないって。最悪の状況も覚悟してくださいと」

「でも今は、お元気なのよね?」

「うん。一年入院して奇跡的な快復力だと医者に言われたよ。でも手足の自由は……。今は車椅子なんだ。家もバリアフリーに改造して」

「そう……。でも家の事はどうしてるの?」

「五年は帰れないって言ってた兄貴が三年で帰って来て、両親と一緒に住んでくれてるんだ。今、家の事や母さんの面倒は義姉さんが看てくれてる。僕は近くにマンションを借りた。僕の世話までさせたら義姉さんに申し訳ないから」

「そうだったの。知らなかった」

「母さん今でも寧々と付き合ってるって思ってる。寧々が元気にしてるのかって時々聞くんだ」

「ごめんね。私、何にも知らなくて」

「でも僕は、これで良かったと思ってる。もしあのまま結婚してたら寧々が母さんの面倒を看る事になっていたかもしれない。そうしたらデザイナーどころじゃなくなるだろう」

「シュウ……」

「あれから母さんの事もあったけど誰とも付き合ってなかった。彼女は同じ会社の子なんだ。きょう初めてのデートだった。まさか寧々に会うなんて……驚いたよ」

「それは私の方よ」

「寧々、今付き合ってる男、居るんだろう?」

「どうして?」

「あの頃より綺麗になったから。輝いてるよ。大切にしてくれてるんだろう寧々のこと」

「そうね。そうかもしれない」

「仕事は? デザイナーの夢は叶いそうか?」

「どうだろう。叶ってたら人のデザインした洋服なんて売ってないよ」

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