さざなみの声


 副社長は
「そう。そうだったの。辛かったわね。その彼って……」

「……あぁ、麗子さんの結婚式に出席してました」

「もしかしたら私と話していた時に寧々さんを呼びに来た人? 麗子さんが呼んでるからって……」

「えぇ、はい。そうです」

「やっぱり、そうだったのね」

「やっぱりって?」

「寧々さんを呼びに来て二人で歩いて行く後姿を見ていたの。彼のあなたを見る目が、とても温かくて大切に想っているのが分かったわ」

「でも……あの時はまだ……」

「それでも彼にとって寧々さんは特別な存在だったはずよ。そう。あの時の彼なのね。それで寧々さんはどうしたいの?」

「どうしたいって?」

「家族とか仕事とか彼がどう言ったとか、いろんな状況をすべて取り除いて、寧々さん自身が本当はどうしたいかっていうことよ」

「私は……。彼の傍に居たい」

「じゃあ、もう答えは出ているでしょう?」

「えっ? でも……」

「実はウェディングドレスのプロジェクトなんだけど、やっぱり立ち上げるのにデザイナーが寧々さん一人だけっていうのは厳しいと思うの。それでね、せめてあと二人のデザイナーとドレスの縫えるスタッフを何名か揃えようと考えていたのよ。二、三年後を目標にしてね」

「そうだったんですか」

「寧々さんが帰って来る頃には始動出来ているように頑張るから、彼と一緒にシンガポールに行ってらっしゃい。行くべきだと思うわ」

「副社長……。ありがとうございます」

「お待たせ致しました。ご注文のランチでございます」
 食欲をそそる香りと共にテーブルに置かれた。

「あら、なんて美味しそうなんでしょう。さぁ、いただきましょう。一昨日から、ほとんど食事もしていないんでしょう? 食べないのが一番体に良くないのよ。自分の体を大切にしなさいね」

 まるで母親のような副社長の優しい言葉に触れて、あまりにも突然の出来事に悩んで萎縮していた心がフワッと柔らかく解けて行くような気がした。

「はい。いただきます」

 そのお料理は、とても美味しくて心にまで染み渡るようだった。

「美味しいものを食べるとね、考え方も前向きになるものよ」

「そうですね。本当にそう思います」

 副社長と落ち着いた気分で食事をして体も心も蘇ったようだった。

「行きましょうか。きょうは奢らせてね。結婚の報告へのささやかなお祝いのつもりだからね」

「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
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