さざなみの声


 会社への帰り道、私は思い切って副社長に提案した。
「あのう、新しいスタッフの件なんですけど、お願いしたい事があるんです。聞いていただけますか?」

「えぇ、何か考えがあるのなら話して欲しいわ」

「はい。家の会社で、たとえば事務職とか店舗の販売員の人とか縫製をしている人の中にデザインを勉強していたり、ウェディングドレスを作りたいと思っていても現実には叶わなくて今の仕事をしている人が居ると思うんです。私もそうでした。副社長に見出してもらえなかったら今もショップで販売のバイトをしていたかもしれないし名古屋に帰って普通の事務職に就いていたかもしれません。そういう人たちにチャンスを与えてもらえませんか? 素晴らしい才能を持った人が埋もれているかもしれません」

「そうね。寧々さんの言うことは、とても良く分かるわ。家の会社で働いてくれている社員やバイトの子の中にも、もしかしたら居るのかもしれないわよね。確かに埋もれさせて置くのは勿体無いわ。何か良い方法を考えてみるわ。チャンスは与えるべきよね」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

「素晴らしいスタッフを揃えて置かないとね。寧々さんが帰って来た時に思う存分仕事が出来るように。それからこれは副社長としての提案なんだけど、寧々さん、一応二月いっぱいで寿退社扱いにしようと思うの。そうすれば僅かだけれど退職金も出せるしね。何年先か分からないけど、あなたが戻って落ち着いたら、すぐに訪ねて来て。あなたのポストは空けておくから。もしも向こうで赤ちゃんを授かることがあっても社内に託児所もあるし常時優秀な看護師も付いてる。また安心して働いてもらえると思うけど、どうかしら」

「そんなにしていただいて良いんでしょうか? デザイン室のみんなにも私の個人的な勝手な我が儘で突然居なくなって迷惑を掛けるのに」

「みんなに聞いてごらんなさい。デザイン室の子たちは寧々さんを祝福こそすれ誰も迷惑を掛けられたなんて思わないわよ。私はね、子供には恵まれなかったけど人を見る目には自信があるの。他の社員もだけど特にデザイン室の子たちは私の大切な娘だと思ってるのよ」

「副社長、あの日ペンションで出会えて本当に幸せでした。どれだけ感謝しても全然足りないんだと思っています。夢を叶えてもらって、今度は気持ち良く送り出してもらえて……」

「そうそう、感謝なんてしてる暇はないわよ。寧々さんには最後の仕事をしてもらわないとね」

「最後の仕事ですか?」

「えぇ、時間がないのよ。期限は一ヶ月。彼との打ち合わせや準備、マンションの片付けもあるでしょう?」

 副社長は、これ以上ないくらいの優しい笑顔でそう言った。
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