檸檬の黄昏

「くやしい!」

船から降りて茄緒は地団駄を踏んだ。

「当然の結果だ」

余裕綽々の光オーラを振り撒き耕平は涼しく答える。

茄緒は一生、就業中は菓子禁止にされてしまったようだ。
負けた上に楽しみのひとつを封印されてしまったダメージは大きい。

耕平が魚の入ったクーラーボックスを持ち落ち込む茄緒に声をかける。


「せっかくだ。調理してもらおうぜ」


持ち込み可能な居酒屋に釣り上げた魚を持ち込み、二人はそれを頂いた。

小さい豆アジだったのですべて南蛮漬けにしてもらったのだが、それは非常に美味であった。

カウンター席で肩を並べ、ひとつの皿を二人で箸をつつく。

茄緒の機嫌は良くなり先ほどの落ち込みが嘘のようだ。
アジを箸で口に運び満面の笑顔で頬張っている。

「美味しいですね。やっぱり来て良かった」
「ああ」

ランチタイムを終えた時間であったので、二人の他に客はいない。
美男と美女の時間か流れていく。


十三匹を釣り上げた魚、二人で全て平らげる。


食事を終えた二人は土産物屋に立ち寄る。


「かわいい」


茄緒が手に取ったのはピンク色のアンコウのストラップだった。
アニメのキャラクターらしい。

耕平は喫煙所で電子煙草をふかしている。

買い物も終わり帰宅途中の海沿いの車の中である。
茄緒は二個購入すると、ひとつを耕平に差し出した。
赤信号で車は停車する。


「はいこれ。耕平さんの分です。今日は付き合って下さって、ありがとうございました」


ハンドルを握ったまま茄緒の方へ瞳を動かし、また正面を見る。


「あのな。それをどうしろと」
「付けるんですよ。もちろん」
「スマホもキーケースもお断りだ」
「そう云うと思いました」


茄緒は見透かしたように横目で、ふふっと笑い、ハンドル横のワイパーレバーへ引っかけた。


「ここなら見えないですから、いいですよね?耕平さんの車、なんとなくラブリーになりました」


黒いスポーティーな内装にピンクのアンコウストラップが揺れている。
茄緒は満足気だ。


「お揃いですよ」


茄緒が窓の外の海を眺め、耕平に再び顔を向ける。


「楽しかったです。耕平さん。本当にありがとうございました」


茄緒にとって今回の事はデートだ。
耕平はそうは思わないだろうが。


茄緒の言葉には何となく寂しさが含まれているように感じ、耕平はそれに気づいたのかは、わからない。


しかし、それの返事もなかった。


やがて車は家に到着する。

茄緒が礼を延べ車のドアに手をかける。


「茄緒」


耕平が呼び止めた。


「今日は楽しかった。いい息抜きになった」


無愛想な耕平の顔が笑ったように見えた。

まさか耕平の口から、そんな素直な言葉が聞けるとは思っていなかった茄緒は驚き、だがとても嬉しく思った。


「はい。わたしもです。また機会があったら行きましょう」


茄緒の言葉に耕平が頷く。

耕平の車が隣の敷地へ戻り耕平が玄関へ入って行くのを見届けてから、茄緒も自宅の玄関の扉の向こうへ消えた。


まだ暑い八月の下旬である。




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