ひと雫おちたなら

「絵は昔から描いてるの?中高も美術部?」

興味本位で聞いたら、意外な答えが返ってきた。

「中高はテニス部」

「…えっ、テニス!?機敏に動けるの?じゃあいつ絵に興味持ったの?」

「あのさ、めちゃくちゃ失礼なこと言ってるの気づいてる?」

「慣れてるでしょ。で?絵に興味持ったのはいつ?」


睦くんの右手の人差し指がするすると動いてブラックボードに描かれたホッケの絵をこすり、白いチョークが掠れる。
またその上に色が重ねられた。

いま初めて気がついたけれど、睦くんの指ってすごくきれい。

細くてすらっとしている。
絵を描く人特有の、爪の間に絵の具が入り込んでちょっと汚いっていうこともなく清潔感がある。

「高校の時にちょっと面白い美術教師がいて、個人的にその先生から色々教えてもらったりした」

「ねぇ、爪きれいだね?指もこう、すらーっとしててきれいだよね?お手入れとかしてるの?」

「は?……ゆかりさん、会話成り立ってないの気づいてる?」


気づいてるよ、と笑うと、ふっと睦くんも笑った。

「爪が汚かったら、飲食店でバイトなんてできないよ」


……それは、そうなんだけど。


短いイヤホンを片耳につけて、身を寄せ合って同じ音楽を聴いて、近い距離で話す。
そのせいで、いつもよりちょっぴり特別な気がした。


「本当に、引き受けてくれるの?」

視線はブラックボードに向けたまま私が尋ねると、なんのことか具体的に言っていないのに、睦くんはしっかりと理解して

「いいよ」

と言いながら、絵を描き続けた。



少しだけどきっとしたのは、この距離感のせい。

そのせい、それだけ。




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