大江戸シンデレラ

「……松波様の奥方様」

広次郎はもう一度、告げた。

「ひ、広……」

と返しかけて、美鶴が云い(よど)む。

枇杷(びわ)茶色の小袖に白茶の打掛を(まと)う今の我が身は、眉を剃り落としお歯黒をつけ、丸(まげ)に結った髪になっている。

この家で過ごしていたときの「娘」ではなく、(れっき)とした「人妻」の(なり)であった。

さらには、南町奉行所与力・松波 兵馬の妻となった我が身が、北町奉行所の男の「名」を気安う呼ぶわけにはいくまい。

あの頃のように、二人きりでこの場にいるわけでもなかった。

中庭に面した縁側ではおさと(・・・)が正座し、縁側を下りてすぐの(ところ)では弥吉が片膝をついて控えている。

おさとはともかく、弥吉の口から松波の家に如何(どう)伝わるかしれぬ。


「上條さま……」

美鶴は広次郎を(うじ)で呼んだ。


されども、広次郎は首を左右に振った。

「もう、上條ではござらぬ……島村だ」

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