大江戸シンデレラ

そうこうしているうちに、兵馬の顔が中に引っ込んだ。

わずか二(けん)(約三.六三メートル)先の仕舞屋の陰に、見知った舞ひつるが潜んでいるなど、つゆほども思いよらぬことであろう。
玉ノ緒を追って、境内へと入って行ったようだ。

舞ひつるは、波立つ胸の内をなんとか(なだ)めると、仕舞屋の隙間から表に出た。
それから、下駄が立てそうになる音を殺しつつ、そーっと鳥居の前まで歩み寄る。

恐る恐る鳥居の内側を覗くと、もう其処(そこ)にはだれもいなかった。

——もしかして、御堂に入りなんしたか。

舞ひつるもまた境内に入ると、音が出る玉砂利の参道を避けて地道を通り、小堂の脇まで歩みを進めた。

黄八丈の裾を(から)げ、ゆっくりとしゃがむ。

鎮めたはずの心の臓が、また早鐘を打ち始めていた。

下駄を履いていては身体(からだ)(かし)いでしまいそうになるため、なるべくそっと小堂の壁の杉板に手をついて上体を安定させる。
あとは足指に力を込め、しっかりと踏ん張った。

そして、杉板一枚を隔てた向こう側を窺う。
思ったとおり、人のいる気配がする。

舞ひつるにとって、我が身の気配を消すのはお手の物だった。
幼き頃より、姉女郎が閨で客と睦み合っているすぐ隣の部屋で、息を殺して(しん)に就くのが日常茶飯であったがゆえだ。

さりとて、玉ノ緒はともかくとして、兵馬は武家の男である。

当然、幼い頃より剣術などの武道に通じている。
ほんの(いささ)かでも物音を立てれば、気づかれるに違いない。

舞ひつるは、いつにも増して気配を殺した。

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