あり得ない男と、あり得ない結末
「すみません、遅くなりました」
部屋に戻って声をかけたものの、返事はなかった。
彼はすでに奥の部屋の電気を消し、布団に入って寝息を立てている。
並べられていた布団の一つは、座卓のある部屋に敷きなおしていてくれていた。
ふすまを閉めれば仕切りも出来るし、もし何かされても、私の部屋のほうが出口に近いからすぐ逃げられる。
「……なんだ」
そんな声が自分から飛び出して驚いた。
なんだって、何よ。これでいいんじゃない。むしろ阿賀野さんが意外に紳士だったことを喜ぶべきだわ。
なのに、チクリと胸が小さく痛む。どうしてこんな風に感じてしまうのか分からない。
「そうだ、スーツ」
部屋には衣類用の消臭剤も置かれている。
その辺に投げ出されている阿賀野さんのスーツとシャツをハンガーにかけ、それを振りかけた。
香りを吸い込めば、すでにいい匂い。こんな風に一瞬で、一日の香りは消そうと思えば消せる。
なんとなく力が抜けて、しばらくスマホをいじって過ごしながら、昼間の阿賀野さんとの会話を思い出していた。
『会社のためになるかどうかの判断は親父に任せるわけ? 全部が全部、親父が正しいわけでもないだろが』
目から鱗のひと言だった。
私にとって父は、野心家ではあるけれど、娘の私の意思もある程度尊重してくれる理解のある父親だった。不満なんてないし、父の言うことはできる限りはかなえようと思ってきた。
父が正しくないかもしれないなんて、疑ったことさえなかったから。
もし、父の考えに間違いがあるなら、そしてそれが私が気づいていないだけだったら……。
そう考えるようになった時点で、私と父の世界は、少しずれてしまったことになる。