オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない

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「……最後にして、最強のラブホテルを引き当てたかもしれないな」
「そうですね……」
 私と明彦さんは、時代劇風ラブホテルを前に固まっていた。
 四日間に及ぶラブホテル巡りで、知識経験を積んできていたはずだったが、なかなかに時代劇風ラブホテルは突き抜けていた。
「明彦さん、ベッドではなく布団というのはちっとも構いません。だけど、あの高枕はちゃんと眠れるんでしょうか? なんだか首が痛くなってしまいそうですね」
「……ふむ。実際に眠る事が目的ではないから、シチュエーション重視なのだろう。要は、小道具のひとつだな。それよりも俺は、衣桁に掛かるやたらケバケバしい色打ち掛けの方が気になるぞ」
「ええ、それは私もこの部屋に入った時から気になっていました」
 通常のラブホテルではとんとお見かけしない着物と帯がここでは標準装備になっていた。
 ただし、装備されている着物と帯は、温泉旅館で提供されるようなそれとはまるで別物だった。
「うん? この帯は……いやに長いな」
「ええ、明らかに長いですね」
 やたらケバケバしい着物もツッコミどころは多いのだが、それよりも問題は、一体何メートルあるんだという長さの帯だ。
 これまでにも、こういったコンセプト系と呼ばれるラブホテルを訪れた事はある。
 けれど今回は、なんというか……。
「明彦さん、これは体験型とでも言うんでしょうか。この帯って、時代劇の定番のアレですよね?」
「……アレとはなんだ?」
 ところが私の台詞に対し、明彦さんは心底分からないといった様子で首を傾げた。
「え!? 明彦さんはご存知ありませんか?」
「さて、すまんが俺には何の事だか分からんな」
 ……なんということだ! まさか明彦さんが、時代劇のアレを知らないなんて……!
 これには、時代劇の義理人情をこよなく愛する私の血が騒いだ。
「明彦さん、時代劇ではよく、お殿様が見初めた女中などに対して『よいではないか、よいではないか』と言って迫って、こんな感じに帯をシュルシュルと引くんです」
 妙な使命感に突き動かされ、私は明彦さんの前で一人、エアリーで寸劇を披露する。明彦さんはそれを目を丸くして、食い入るように見つめていた。
「で、女性はそれに、こんな感じで『あーれー』と高い声を上げながら、くるくると回ってみせるわけです」
 こんな感じと、試しにくるりと一回転して正面に向き直ると、明彦さんは少し考え込むようにして口を開いた。
「それが時代劇の定番なのか? 俺には権力を笠に着て、権力者が女中に狼藉を働いているようにしか思えんのだが」
「あ、大概そんな感じです。その帯を引くお殿様は大抵悪役で、最後は正義の味方の主人公に成敗されちゃうケースがほとんどです」
 さすが、明彦さんは目の付け所が的確だ。
「なんと! 悪役の一コマが時代劇の定番となっているのか」
「ふふふっ。それだけインパクトがあって、女の子目線でもちょっと楽しそうだなって思えちゃうんですよね。あ、もちろん好きな男性が相手という前提ですけど。でも、きっと男性でも好きな女性の帯をシュルシュル引いてみたい人は多いと思いますよ。……実際、こういうホテルは男性が主体となって選ぶケースが多いでしょうし、そう考えるときっと、男性にも需要があるんですよ」
「……やってみないか?」
「え?」
 一瞬、明彦さんの言葉に理解が追いつかない。
「俺も月子の帯が引きたい。折角だ、実際に当事者の気持ちを味わってみよう!」
 言うが早いか、明彦さんは私に背中を向けると、衣桁の着物に嬉々として手を伸ばす。
 対する私は衝撃で、ピキンッと固まっていた。
 ……まさか、明彦さんがそんな提案をしてくるとは思ってもいなかった。
「さぁ月子。これに着替えてくれ」
 明彦さんは、抱えた着物と帯を私に向かって差し出した。
「ん? いや、着替えというのは正しくなかったな! すまない、羽織ってくれと言うべきだった!」
 明彦さんは固まったままの私に何を思ったか、慌てた様子で続けた。
 頬を僅かに赤く染めて言い募る明彦さんの姿が、私の目にとても新鮮に映る。私の頬に、自然と笑みが浮かぶ。
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