触れられないけど、いいですか?
「翔さん! どうされたんですか?」

「早目に仕事が終わったから、もしかしたらさくらさんもまだオフィスにいるかと思って、今連絡しようと思っていたところ。……それより、そちらの方は?」

翔さんの目線の先は、私の隣にいる霜月さん。


「あ、こちらは同じ会社の、総務部の霜月さんです」

私がそう言うと、霜月さんはにこやかに「霜月です。どーも」も笑った。


すると翔さんもにこっと笑いながら、長い足で一歩、二歩、私達の方へと歩み寄る。

……何でだろう。彼の顔は笑っているのに、何故かいつもの様な安心感はなく、思わず背筋がピンと伸びてしまう様な、そんな空気感。
どことなく、先日の彼が纏っていた空気に似ている。私から男物の香水の匂いがすると言った、あの時の彼に。


「初めまして。さくらさんの婚約者の、日野川 翔と申します」

柔らかな物腰で翔さんがそう言うと、霜月さんが「婚約者?」と、小さく肩を揺らした。そして。


「さくら、婚約者なんていたんだ? 指輪してないからてっきりフリーかと」

と、私に言ってきた。

さり気なく下の名前を呼び捨てにされたことに思わず戸惑っていると、私より先に翔さんが

「すみません。僕の妻なので、名前を呼び捨てにするのはやめていただいてもよろしいですか?」

と言い返した。


私のことを僕の妻と紹介してくれたのは、正直嬉しい……けれど、喧嘩を売っているかのようなどこか挑発的なその言い方に、私は思わず言葉に詰まる。
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