イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活
まっすぐマンションに帰り、ただいまを言う気力もなく、黙ってドアを開ける。
人感センサーで灯りがついて足元が目に入った。

当然、郁人の靴はそこにはない。さっき、あの女性と一緒に駅にいたのだからまだ帰るわけがない。


私は、なんてのんきだったのだろう。
ふたりで過ごす時間の居心地の良さに、忘れてしまっていたのだ。最初から普通の結婚ではない。彼は私に心を許してはいないのに、勝手に好きになって浮かれていた。

自分の部屋に入り、チェストの引き出しからクリアファイルに挟んだ結婚契約書を取り出した。
箇条書きの一行目は『お互いの私生活に干渉しないこと』とある。


『私生活』イコール彼の女性関係が含まれることは、今更確かめるまでもないだろう。
それ以外にも、私の家族に対しての義理立ては約束してくれているものの、彼の家族に関することは含まれていない。
『互いの家族へは必要に応じて対応する』ならば公平な内容なのに、私の家族に限定してある。
彼の家族には、私は関わるなということなのだろう。私のことは信用していないのだ。


恋をして、キスをして、すっかり勘違いをしてしまっていた。
私と彼が仮面夫婦であることは、何も変わっていないのだ。


つん、と鼻の奥が痛くなって涙が滲みかける。
その時、玄関ドアが開く音がした。
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