イジワル御曹司と契約妻のかりそめ新婚生活

 夫婦ならあり得ない提案を口にした私を、彼は少し目を見開いて見つめ、数秒停止する。
 やっぱり引かれたかー、と内心がっかりしたようなほっとしたような複雑な気持ちになった。
 
 学生の頃、電車で痴漢にあったことが、私が恋愛から遠ざかることになった一番の原因だと思う。元から人との接触に不慣れな私には、恐怖以外の何者でもなかった。声を上げることもできず、震えているので精一杯で。気づいた周囲の人が助けてくれたけれど、しばらくは怖くて電車に乗れなかった。

 もう何年も前のことだし、今はそこまで怖いとは思わない。もちろん電車にも乗れる。人の多い時間は避けるけれど、震えあがるほどでもないし全ての男の人が『そう』だとは思っていない。だけどそれ以来、私は男の人に対して好意や恋愛感情といったものがさっぱり湧かなくなってしまった。元々の人見知りも一因ではあるのかもしれないが。
 さすがに、こんな条件付きで結婚したいと思う人はいないに決まってる。


 私の言葉に、彼がどう返事をするかじっと待った。数秒の沈黙が表すものが、動揺なのか不満なのか私にはよくわからなかったが。
 ここで間違いなく引き下がるだろうと思っていた彼は、次の瞬間には躊躇なく頷いたのだ。


『わかった。問題ない』
『えっ?』


 いや問題しかないでしょう?
 私の方が狼狽えてしまった。

< 14 / 269 >

この作品をシェア

pagetop