野獣は時に優しく牙を剥く

「ありがとうございます。
 けれど、雇用主である谷さんを下の名前では呼べません。」

「……澪。」

 澪は精一杯の笑顔を向けて、頭を下げた。

「よくしていただいてありがとうございました。
 安心してください。
 繁栄をもたらす印のこと、口外しません。
 今まで通り、albaで雇っていただければなんの不満もありません。」

 谷への借金はもうない。
 祖父がくれた結婚資金を使ってしまうのは不本意だけれど、それで谷を解放することが出来る。

 家政婦の仕事は続けられないだろうから、何か別のを探さなければ。
 谷の幸せを邪魔する権利は自分にはないのだから。

 つかんだままだった腕を離す。
 これでもう、谷とは何もなくなった。

 これでいいんだ。これで。

 谷は虎之介達の方へ向き直り、萌菜へ初めて質問を向けた。

「萌菜、どこに印があるって?」

 虎之介の後ろに隠れていた萌菜がおずおずと口を開いて「それは……」と言い淀む。
 見兼ねた虎之介が受け取って代わりに答えた。

「太ももの内側だよ。
 萌菜みたいな子には言いにくい場所なんだから、言わせるなよ。」


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