Q. ―純真な刃―


暴行は回数を重ねるたびにひどくなっていった。新道寺を傷つけ、その傷が治ると、以前よりも深い傷を負わせる。毎回素手に留まらず、ナイフや鞭を常備。毒を盛られ神経麻痺を起こしたこともあった。

少女のように可憐で美しかった身体を、自分色に汚し、壊していくのがたまらなく快感らしい。


ゴメスは絶頂したあと、きまって言う。

ずっと一緒だよ。
僕が君を生かせてあげる。


うっかり殺してくれたりしないだろうかと新道寺は幾度となく考えた。

別の誰かにもそんなことを言われた憶えがある。



──生きてみろよ、クソガキ。



人の生死まで勝手に決めつけられる世界。

学校でも家でも習わなかった。知りたくもなかった。

あってはならない世界のはずだろう。

これが恵まれた人生の帳尻合わせというやつなら、残りの寿命をすべて悪魔に売ってやりたいくらいだった。自分だって人身売買されたのだ、悪魔と交渉したって誰も文句は言えない。



ゴメスが仕事で家を空ける時間だけが安全だった。

新道寺は自室に引きこもった。逃亡を企んでも警備に捕まり、使用人を味方につけようとしてもゴメスに告げ口され、虐待が悪化する。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだ。


無心で窓の外を眺めた。

あそこから飛んで行けば、ママやパパに会える。この地獄から解放される。

しかし、いつも、あと一歩のところで止まる。



――ごめんね。絶対にみんなを守るから。



マルの言葉が新道寺の心を繋いでいた。

精一杯の誓いを無下にしたくなかった。

会いたい。
みんなに会いたい。


だからまだ生きていなくちゃいけない。



そうして長い一年を耐え抜いた、ある冬の日。

使用人伝いにゴメス主催のパーティーが開催されることを聞いた。新事業の祝賀会だとかなんとかで、陽が沈んだころに別邸の大広間に続々とセレブたちが集う。そこに新道寺も参加するようにとのお達しだった。


新道寺は、またか、と内心うんざりした。

公の場に呼ばれることはよくある。ときに親戚の子として、ときに話題作りの置物として客人の目に晒される。大概、新道寺の貴族らしい美貌に惹かれ、ゴメスをうらやましがる。それをゴメスは酒の肴にし、悦に浸るのだ。

どうせなら酔いつぶれるまで飲んでほしい。そうすれば地下に連れこまれず、ひとりで夜を明かせるから。いや、酔ったら酔ったでブレーキが利かなくなるだけだった。詰んだ。


新道寺はあきらめて使用人に応じた。ゴメスリクエストの着せ替えが始まる。

絞められた痣が消えない首に大きなフリルの襟が立ち、鞭で叩かれた跡が肌色に紛れた背中をジャケットの裏起毛がさすり、ナイフの切り傷がかさぶたになった足には大量のリボンに埋もれたブーツがはまる。定期的に切られる髪は、無理やりひとつ束ねられ、頭が禿げそうだった。


一年かけてはぎとられた手の爪は、どれだけ待っても以前のようにしっかりと伸びず、指一本一本に包帯を巻いている。

その上からゴールドの手袋をつけ、さらに同色の手錠までかけられた。生活に支障がないほど鎖が長く、各国の文化が入り混じるパーティーでは斬新なアクセサリーに捉えられるにちがいなかった。




「Aww……SUN! So cute!」




大広間に行くと、いの一番にゴメスに捕まった。顔を健康的に見せかけたファンデーションを、吸いつくす勢いでチュッチュッと啄まれる。

ゴメスが相手していた黒人の男女2人が、新道寺――というより手錠――に興味を示す。後継者か、と問われ、ゴメスはまさかと笑う。犬より大事なペットだよと言うと、相手方は新手の愛情表現と受け取り、微笑ましげに新道寺を子ども扱いした。




「Hi,nice to meet you,SUN」

「Do you love your master?」




冷やかし混じりの挨拶に、新道寺は黙って黒人の男女2人を見据えた。

ゴメスのことをどう思っているのか、腹を割って話したら、本当に腹が真っ二つに引き裂かれてしまう。

だからといって眼差しにSOSをこめても、彼らは一切気づかない。それどころか、高位な造形をした新道寺の弱々しい表情に、ごくりと喉を鳴らしている。

無意識に伸びる黒肌の手を、払いのけたのはゴメスだった。



「Don’t touch SUN. This is main」




独占欲をむき出しにして、会場の奥へ新道寺を連れ去った。

カーテンの裏に身を潜めたゴメスは、フリルにくすぐられた新道寺の首に、アルコールに濡れた唇を押し当てた。ゴメスが片手に持つスパークリングワインのような音が弾ける。首にくっきりと印が浮かび上がると、ゴメスは機嫌を直して挨拶回りに戻った。

新道寺はカーテン横の壁にもたれかかりながら、皮をむきかねない強さで首を掻いた。鎖が体に絡みつく。




(ぼくは、だれのものなんだっけ)




ゴメスのもの? 本当に?

ちがった気がするけれどわからない。そもそも答えがあったかどうかも思い出せない。

自分のことなのに何ひとつ証明できない。




(ぼくは……あれ? そういえば、ぼくのなまえは――)


「……あ、か?」




不意にどこからか声がした。

新道寺は知らぬ間に血が漏れ出ていたかと不安になり顔や尻を拭った。




(……ん? 今の声……)


「あか……!」


(日本語……?)




黒髪の老夫婦が、新道寺を見つめていた。日系の顔立ちが重力に引っ張られたようにたるんでいるが、それに逆らおうと震え出す。

ゴメスやさっきの黒人の客とは明らかにちがう、痛みを知る顔つきだった。




「――緋!」




三度目の呼びかけで、新道寺は我に返った。


呼んでいる。自分を。

自分の本当の名前を。




「緋、よね……? あぁ、やっぱり……私たちの緋だわ!」

「どうしてこんなところに……、いや、よかった……よかった……!」

「……お……おばあちゃん、おじいちゃん……?」




駆け寄ってきた姿は、見ただけで涙が出るほど親しみ深い。約二年ぶりに再会する、父方の祖父母だった。

ふたりは化粧品会社の経営者として今回のパーティーに招待されたようだった。




「緋……っ、もう会えないと思った。ありがとう、ありがとう緋。私たちはまた、大切なものをなくすところだった……」

「もう大丈夫だ、緋。よくがんばったな……!」




これは、幻覚だ。こんな都合のいい現実があるわけがない。さっきゴメスにまた毒でも盛られたのだ。きっと次目覚めたら、悪魔の仕打ちが待っている。

だからこそ、今だけは。

おぼろげな動きで新道寺は祖父母を抱きしめた。


痩せこけた祖母はむせび泣きながら抱きしめ返し、その体の薄さに嗚咽を漏らした。顔のしわが増えた祖父は新道寺の手錠に憤慨し、老いた握力で引きちぎろうとする。

気づいたゴメスが焦って止めに入るが、祖父母はボディーガード代わりに侍らせていた日本警察の千間で対抗した。海外出張の際は、飛行機墜落の調査のためにできる限り警察に協力を仰いでいたのだ。




「No……SUN……! My boy……!」




ゴメスは自分のパーティーを自分でめちゃくちゃにした。酒に飲まれていたせいもあるだろう。欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子どものように人目を気にせず駄々をこね、新道寺にすがりついた。

千間が現地の警察と連携を取り、ゴメスを直ちに別室に隔離した。


現実は夢よりも早く展開が進み、日も跨がずしてゴメスの裏の顔が暴かれた。闇オークションの片棒、人身売買の関与、性的暴行。新道寺を買う前にも何人もの少年が犯され、その内の二人が死体遺棄されていたことも発覚した。

ゴメスと新道寺の隷属契約は、当然白紙。ゴメスは即刻逮捕され、新道寺は無事に保護された。

何の因果か、その日は新道寺の誕生日だった。

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