Q. ―純真な刃―
誰のもの
神雷のたまり場は苦渋の面であふれ返っていた。バレンタインチョコをもらえたとかもらえなかったとか、ふつうの学生のような甘い事態ではないことは言わずもがな。
ホールの中央にそびえる大階段に、ちょこんと座る白園学園の制服を、神雷メンバーは隙間なく囲んでいた。
洋館にはあるはずのない、白園学園男子生徒用の制服を。
「は、はじめまして……で、いいんでしょうか……? し、新道寺緋と申します」
1階に勢揃いするメンバー全員が、姫華直々の客人だという新道寺を厳戒態勢で監視していた。風都夫婦の喪に服するため黒やグレーなどの暗い色の装いで統一しているからか、監視の空気に重みが出る。
「……おめえが噂の武器商人か」
我先に凄む勇気に、新道寺は逃げも隠れもせず上着と手袋を外した。
人工的に赤く染まった爪が、シャンデリアの光を浴び、どろりと色を淀ませる。内側の肉から血が垂れているようだった。
「お前、自分が何したかわかってんのか。あちこちに武器を流通させたせいで、収拾つけんの大変だったんぞ!」
階段横に置かれた、武器の回収ボックスは、現在3箱目が満杯になりつつある。
「イキがった雑魚の相手するこっちの身にもなれよ。ただでさえ治安の均衡操作に苦労したっつうのに……。坊ちゃんが気安く裏社会を荒らすな!」
「何か理由があったのかもしれませんが、武器は少々デンジャーすぎましたね。へたしたら戦争勃発でしたよ。町が焼け野原になっていなくてよかったですね。すべて我らが女王様のおかげですよ。感謝してくださいね」
日ごろ仲裁役を買って出る汰壱も、今日はこころなしか口調がシャープだ。シャーペンの芯を無心でカチカチ繰り出すように殺気を小出ししている。
汰壱が敬愛する叔父・風都誠一郎とその妻・桜子の葬儀からわずか1週間、四十九日も終わっていない。交通事故に仕立てた事件の引き金を、結果的に招き起こしたことになる新道寺に、恨みはなくとも鬱憤をためてしまっていた。
「す、すみません……。で、でも、ボス……いや、えっと、元紅組に近づくには思い切った作戦に出ないといけないと思いまして……」
新道寺はおとなしく首を垂れる。電話口で巧みに機械を操り、姫華と対等に話したとは思えない小心な態度だ。
「なんで……」
ぽつりとつぶやいたのは成瀬だった。
「なんでお前らはそうやって自分から危険なことに首を突っ込むんだ……っ」
ニットとジーンズに着替えられた出で立ちは、細身でありながら男性的な骨格をしている。しかしその顔はか弱げに歪んでいた。
成瀬と新道寺、中身の変わらない少年ふたりが相対すれば、そこは贅沢な豪邸からさもしい監獄へと見違える。
成瀬は昔から新道寺を前にすると胸がチクチクした。心臓の外側にトゲが張り巡らされていた。時を経て今、そのトゲは内側にのめりこみ、成瀬自身を刺している。
(ちがう、こんなことが言いたいんじゃなくて、俺は……っ)
速報で新道寺の生還を知ったとき、どれほど胸を打ったか。らしくもなく涙を流し、震える身を抱き、信じてもいない神に祈りさえした。
記憶喪失でもなんでもいいから、どうか、この運命の輪からサンカクを永遠に逃がしてやってくれ、と。
あの日一緒に外に出られなかったから。
「……ふつうに生きていたいから、かな」
「え……?」
「怖い思いをもうしたくないんだ。だから、戦わなきゃって。逃げても、逃げきれる自信がないし」
新道寺は足元を見つめながら口元だけに笑みを宿した。
「そっ……」
「え?」
「う……い、いや」
そう思ってるなら頼ってくれれば。
喉元を過ぎかけた言葉を、成瀬は寸前で流しこんだ。
誰が何を言う気か。ずっと逃げ続けていたのは自分のほうなのに。
逃げていたのはボスたちから、ではない。
マル――姫華からだ。
彼女にだけは会いたくなかった。
いつも彼女は自分たちのためにすべてを擲って戦っていた。再会したら、また、自分に責任を課してしまう。
彼女の重荷になりたくなかった。
会わずにいたほうが、きっと苦しくなかった。
(だけど……もういい、認めるよ。俺、ここで会えてよかった。……よかったんだ)
その犠牲をほんの少しでも背負うことができる。
「どうやら全員覚悟が決まっているようね」
階段上に立つ姫華は、神妙な面持ちでホールを見渡した。
癌に耐えかねたような重圧のかかる声音は、成瀬と新道寺と目を合わせたあと、凛と気高く張り上げられた。
身にまとうミモレ丈のクラシックワンピースが、予感を孕んでさばかれる。
「それでは戦いましょうか。残り最後の指名手配、憎き男を捕まえに」
紅組壊滅から逃亡を図り、指名手配をかけられた約10名の残党は、この日までにほぼ刑務所に送られている。
長年野放しにされていたなかで、短期間で追い詰めた姫華や新道寺の功績は大きい。その偉業の真意を知る者は水面下にひと握りしかいないけれど。
最後にして最大の敵は、数々の悲劇の生みの親であり姫華の実父。元紅組組長の右腕筆頭。通称、ボス。
「そもそもなぜ紅組の残党たちが日本に留まっているのかおわかり?」
「日本のほうが土地勘があるからっすか?」
「マネーやパスポートが用意できないからでしょうか?」
「検問が張られてるから……?」
「ヤクザ時代のツテがあるから、ですか?」
「そうね、それらも一因でしょうけれど……逃亡の一点でいえば、海外に飛ぶほうが確実だと思わない?」
国外に行けば単純に範囲が広がるし、日本警察の手が及びにくい。国外では基本、日本の指名手配に詳しくないから、無理に変装や潜伏する必要もない。
第二の人身売買の拠点が国外にあったのも、そうした理由からだろう。
「けれどそうしなかったのは、根本的にちがうからだわ」
「ちがうって……?」
成瀬は眉根を沈ませる。
「彼らは根っからの悪者なのよ」
姫華の声量はさして大きくなかったものの、ひとりひとりの鼓膜をつんざく威力があった。
「人を殺ることは好きでも、自分が殺られることは気に食わない。優位に立つためなら手段を選ばず、邪魔する者は死ぬまで許さない。だから彼らはここにこだわるのでしょう」
裏社会に一時代を築いた、弱肉強食の極道、紅組。殺意の引き金は軽く、それで殺られるような弱者こそが悪と定めた。
その考えが骨の髄までしみた残党は、己が弱者側になるのがどうしても受け入れられないのだ。
「人間として生まれ落ちたのが間違いだったとしか言いようがない、クズなモンスターよ」
今まで逮捕された奴らも、逆襲のときを待っていた。逃げ隠れしながら金や武器を集め、万全な状態に整えようとしていた。
狩りに出る野生動物さながら食ってかかる機会をうかがっていたのだ。
「被害者だけでなく、自分に楯突く警察、協力者、その家族をも根絶やしにしようとしていてもおかしくないわ」
「……だからあんな大きな交通事故を起こしたのか」
くそっ、と勇気は利き足で床を蹴った。
飛行機墜落のころから大規模な事件を好む傾向にある。非道だ。
「焦りもあるでしょう。自らの罪を棚に上げ、復讐に出ようにも、指名手配の懸賞金は上がり、捜査の手はゆるまるどころか仲間がどんどん捕まっているのだから」
「では今ごろ、その焦りはピークに達していますね。怪文書というお膳立てをしてまで舞台を作ったというのに、思い描いていたシナリオから逸れ、都合の悪い存在は犯人役どころか容疑者にも上がっていません。ジャパニーズポリスは無能だと、見当違いなアンチ活動に勤しむやもしれませんね」
冷静さを失わず分析する汰壱に、新道寺も同意を示す。
「このまま引き下がることは、100%ないと言ってもいいでしょう。想像しているより早く、次の手を打ってきますよ」
また怪文書を送ってくるかもしれないし、今度は突然襲いかかってくるかもしれない。自分たちだけを狙い撃ちするのではなく、以前のように近くにいる人も巻き込むかもしれない。痕跡がない以上、完璧に予測するのは不可能だ。
「いつどこにどう来るか確定できないなかで、守備に徹して待っていても勝ち目はないわ」
それなら……もうわかるわね?
ホールを一望した姫華の瞳が、力強く吊り上がった。
「招いてあげましょう、私たちのテリトリーに」
王座に君臨する神雷らしい攻めの姿勢。
やる気をかき立てられる構成員に対し、成瀬と新道寺は先行き不安でたまらない。
「ま、招くったって……」
「連絡手段もないんですよ? いったいどうやって……」
姫華はセンター分けの前髪をかき上げて微笑んだ。
「彼は、モンスター。狩りの能力は時代錯誤に巧妙で、汁一滴まで貪り尽くす猟奇ぶり。……ただし、内部の攻撃には比較的弱い」
そうでしょう? 確かめる声に、成瀬と新道寺は過去を思い返してうなずき合う。
「そう、彼はあくまで力で解決する脳筋に過ぎないわ。内側の管理は杜撰で、隙ができやすい」
「へえ……裏を返せば、隙を突かれたあとでも処理できる自信があるってことっすね」
勇気の読みに、姫華は正解を言い渡す。
「だから私たちも油断は禁物。慎重におびき寄せるのよ。罠だと気づかれないように」
不敵な眼差しがおもむろに新道寺に注がれた。
「あなたが盗った、残党の携帯電話を利用してね」
それは、タクシーで洋館への移動中に共有されたことだった。
県境のトンネルで激闘を繰り広げた、神雷vs元紅組幹部の一戦。大敗した元紅組幹部が、千間刑事に逮捕される――その前のこと。
武器商人・新道寺がトンネルを訪れ、ひとつ、使えそうな物を持ち帰ったという。5世代前の画面の小さなスマートフォンだった。
「あ、あれは……ここに来る前に話したでしょ? 初期化されていて使い物にならないって」
携帯にデータは残されていなかった。おそらく戦闘中に消したのだろう。そういう危機管理は鋭いタイプだ。
「現物があれば十分よ」
「SIMカードも抜かれてて、電話一本つながらないよ? いいの?」
「あら、ここにあなたのシステムをジャックした天才がいることをお忘れかしら?」
新道寺はハッとして視線を翻す。汰壱が姫華のほうを見上げながら胸に手を当て、礼をとっていた。
「Yes,your highness. ボクにお任せあれ! 必ずやデータを復元してみせましょう」
まだ現物を見てもいないのに「必ず」と断言した。仕事に関してはリアリストな汰壱にしては珍しい。
その分いつにも増して鬼気迫る顔をしていた。たとえ不可能でも力づくで可能にさせてしまえそうなほど。
身体の内からあふれる説得力に、成瀬は当然のように前提を決め込んだ。
「携帯が直ったあとは? それで居所を聞き出すつもりか?」
「いいえ、聞き出すのではなく送りつけるのよ。神雷への招待状を」
先ほど彼女は言った。ここに招くのだと。
攻撃ターンの比喩かと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
「え? でもせっかくデータ戻るなら、あっちの情報を探ったほうがいいんじゃ……」
「バカかお前は。根掘り葉掘り聞いたら怪しまれるだろ」
「あ、そっか」
女王の手を煩わせてたまるかと言わんばかりに勇気が解説役を引き受ける。
「逆に、ここに攻め入るからお前も来いよ、なんて誘いならどうだ。たまり場の位置や人数配置も含めたら、チャンスに思ってくれそうだろ?」
なんたって相手は、内側の管理が杜撰な脳筋だ。仲間からの、しかも自分に利のある情報を、みすみすゴミ箱に入れたりはしない。
「もちろん仕掛けはその招待状だけではないわ。私たちにしかできないことを、やってみせようじゃない」
「俺たちにしか、できないこと……?」
「そうよ。知らしめましょう、私たちの地獄を」
「……僕たちの、地獄」
成瀬と新道寺は遠慮がちに顔を見合せる。お互いに過去の因縁がフラッシュバックした。表情筋が軋むように引き締まる。重たい鼓動が血の気を上げた。
空気を切り裂くように神雷メンバーが続々と拳を掲げる。
「俺たちはついていきますよ、どこまでも!」
「女王様の思し召しのままに!」
覚悟の強さが、心に炎を灯す。この場の光がすべて消えても恐怖に呑まれることはないだろう。道筋は真っ直ぐ上へと伸びている。
天より授かった黄金の髪が、揺るぎなく照らしていた。
これは弔い合戦。
自らの手で終止符を打つ。
本物の牢屋を、開けて待つ。


