Q. ―純真な刃―
○
稲妻が町を分断しようと走った。
降り出した氷雨は、子どもの泣き真似をして町中を冷やかす。夜の帳が下りた町はただ静かに耐え忍ぶ。普段夜が明けてもなおうるさい繁華街も、激しさを増す雷雨の下では脅える一方だ。
水浸しの交差点に、閃光が反射する。振り切るように一台の車が猛スピードで過ぎ去る。
ピチャン。
ひしめく轟音に紛れ、ひとつの足音が水たまりを散らした。
ピチャン。
黒いブーツが、水を拒絶する。
その人は、傘を差さず、同色の上着で頭から膝上まで隠していた。肩回りのたくましいハリ感、フードの下から覗く色素の薄い髭が、生物学上のカテゴライズを男と知らしめる。
武器商人の新道寺と似た風貌だが、体格にかなりのちがいがある。背丈は頭ひとつと半分ほど高く、迷彩柄のズボンを履いた股下は筋肉の小山が隆起していた。
筋骨隆々な見た目とは裏腹に、手にはバイオリンケースに似た荷物を持ち歩いていた。
高級感漂う荷物に触れる手は、お世辞にもきれいとは言いがたい。何種類もの傷が痕として放置され、それを避けるようにしわが寄っている。50を超える歳の手だ。噛みちぎったように短い爪は、炭をほじったように汚れていた。
ピチャン。
男の節々から醸し出される黒々しさが、霧がかる世界に秘められる。
その交差点を渡ってはいけない。
その向こうには女王の城があるのだから。
……そう釘を刺す役はいない。
男は迷いなく空き家だらけのゴーストタウンに進んだ。
すれちがう人はいない。車両もない。しっぽが白い野良猫が一匹、乗り捨てられたママチャリが二台、ページの抜けたアダルト雑誌が三冊。道端に見つけるものはどれも男にとってはしょうもなく、すべて同じ強さで蹴ってどかした。
道なりにたたずむ無人の雑居ビルに立ち入り、最上階の6階に上がる。
元は会議室であった部屋の窓から景色を確認すると、満足気に鼻から笑いを吹かした。
男は上着に吸いつく雨粒を払い、フードを取った。
頭に点々と生えた、金色の毛根。クレーターの目立つ、焼けた顔。分厚い表皮で歪んだ、意地汚い笑い方。
かつてボスと呼ばれ畏れられた男、その人であった。
「ひっ、ひひ……やっと終わらせられるぜ。逃亡劇のクライマックスだ」
男は画面の割れた携帯を取り出す。電力の働かないコンクリートむき出しの室内に、雷とは異なる光がぱっと放たれる。
白い画面に映るのは、めったに受信することのないメール。
『警官を買収してやったぜ! 仲間と脱獄して、俺らをやった神雷とかいう暴走族のたまり場に復讐しに行くんだけど、お前もどう?』
10年以上昔、紅組最高幹部、別名三銃士として共闘した元同僚からだ。
紅組が全滅し、人身売買の計画が表沙汰になったことで一度は逮捕されたものの、ふたりとも手錠を破壊して脱走。
計画を再試行し、ボスは闇市のセッティングを、元同僚は商品集めを決行。闇市開催直前で警察にアジトを暴かれ、ボスは腰巾着ふたりを売って船でとんずらした。
日本に残留していたメンバーも巻き添えになり、散り散りに逃亡。その一人、元同僚は、なりすましや整形をしながらやり過ごしていたようだが、先日とうとうお縄になったとニュースでやっていた。
実際は、買収に脱獄と、思いのほか好き放題やっていたらしい。
「日本のおまわりは相変わらずちょろいねえ……ふひっ」
笑うと口角が痙攣し、豚のような音が鳴る。船での逃走中、海に転落したときの後遺症だ。
とはいえそのおかげで捜索が難航し、今も捕まらずに済んでいる。顔の一部が欠損しようがプラマイゼロだ。
「やっぱおまわりなんか目じゃねえな」
警察はよそ者の協力がないと特定もできない。冗談は通じないくせに誘惑には簡単に乗せられる。公安警察特殊部隊・クレナイの時代から扱いやすくて助かった。
そんな奴らがどれほど捜査を続けようがどうでもいい、どうにでもできる。
目障りなのは、その「よそ者」のほうだ。
「神雷っつう自警団ごっこのチンピラに、武器で釣ろうとしたらしいおもちゃ屋。それから……返品されちまった、生意気な商品ども。……どいつもこいつも俺をなめやがって」
元はと言えば、たかが商品であったガキが出しゃばらなければ、警察の世話になることはなかった。
紅組の脅威を知らずに育った、無知なチンピラやおもちゃ屋が、興味本位で物色してくることもなかった。
ハエが耳元を飛び回っているみたいに鬱陶しくて仕方なかった。
そいつらのせいで負け犬みたいに逃げるはめになったと言っても過言ではない。
だがそれも今日までだ。
「やられた分はきちんとやり返さねえと」
元同僚との2ターン程度のやりとりを見返し、きひ、ひひ、と断続的に笑いを含む。
今日、神雷のたまり場で集会があり、そこに武器商人も参加するらしい。
なぜかは知らない。関係ない。大事なのは、皆殺しするにはうってつけだということだ。
バイオリンケースまがいのカバンを床に置いて開いた。中には、ライフルの部品と銃弾がぴったりはまっている。
これは武器商人の取り扱いではなく、人身売買の拠点に使っていたアジトに保管していたボスの私物だ。逃亡の際に、闇市会場の主人からもらった金と一緒にちゃっかり持ち出していたのだ。
「ふ、本当は商品番号33番……新道寺緋から始末したかったが」
唯一いい値で売れた商品が、日本に生還したと知ったときは激昂した。
それを機に飛行機墜落や人身売買の件が掘り起こされ、へたに町に下りられなくなった。しまいには、その商品・新道寺自身が逮捕に協力し、大衆の英雄を演じている。
商品のくせに何様のつもりだろう。
他の商品も幸せぶって暮らしているのだろうか。
許せなかった。
自分はお前らのせいで逃亡生活を余儀なくされているのに。
すべて完膚なきまでに壊してやりたいが、新道寺のことは真っ先に処分したかった。
手始めにこの私物の組立式ライフルで、車のタイヤを抜いたときの爽快感は忘れられない。
殺るのは誰でもよかった。どうせなら神雷の奴らも泡を吹かせてやろうと、知り合いっぽい奴を選んでぶち抜いた。
あれは最高だった。
お前らもいずれこうなるんだよ。そう宣戦布告するのにふさわしい舞台だった。
やはり逃げ隠れするなんて性に合わなかったのだ。
追われるより追う。狩られるより狩る。主導権を握るべきはこちら側だ。
強いて言えば、ただの交通事故で終わったことが心残りだった。
わざわざ武器商人の愛顧する銃弾を取り寄せ、ついでに害虫一匹駆除しようと思ったのに水の泡。警察がバカなのも考えものだ。
結局、自分の手で片を付けるのが最適というわけだ。
「今夜害虫駆除して、明日以降在庫処分に回ろう。いひ、ひ、ひひっ」
ちょこまかと邪魔くさいよそ者をさっさと退場させ、フリーになってからのほうが何かと動きやすい。
商品への恨みを晴らすのは、そのあとでも遅くはないはずだ。
「あ、そういや、神雷にはあいつがいるかもしれねえんだっけ。あの使えない畜生が。……ひ、くひひ……じゃあちょうどいいや。予定変更。憂さ晴らし第一号はあいつにしよう、ひっひひ」
殺るなら早いほうがいい。あと回しにしたら後々面倒なことになる。
それは、長年裏社会で積み上げた経験からか、ここ最近で急に蓄積された焦りによるものか。あるいは、子を持つ生き物に備わった本能か。……あまり深く考えないようにした。とにかく全部殺ればいい。
窓を開けたと同時に雷鳴がとどろいた。
ピカッと空が点滅し、ビルの手前にある二棟のマンションが一瞬ライトアップされる。マンションの中間のわずかな隙間に、物々しい洋館のシルエットが浮き上がった。
狙いの、神雷のたまり場だ。
1キロ先に構える洋館の正面が、よく見えた。
以前矢文を打ったときにも使った絶好のポジションだ。屋上のほうが射撃向きだが、前回使った場所だからかえって狙われやすいし、そもそもこの天候ではせっかくの見晴らしのよさを活かせない。
かといって他にいい立地はなく、元同僚からもこの場所を勧められたので、灯台下暗しとして屋上の一個下のフロアを利用することにしたのだった。
開けた窓の隙間から、サプレッサー付きのライフルの先端を挿しこんだ。弾薬を装填し、片膝をついて銃を支える。
銃口を向けるは、洋館の扉口。集会の参加者は洋館の玄関ホールに集合するらしいと、メールに書いてあった。
そのメールの送り主である元同僚は、今ごろ仲間とともに洋館の周りで配置についているだろう。
「ひ、ふひ……前にも思ったが、評判のわりに穴だらけだな」
俺らが本気になれば敵にもならない。そう余裕に浸りながらスコープを覗く。
斜線を重ねるように降る雨。雷に怯えてざわめく木々。傘が雪崩を起こす館の玄関先。
集会があるというわりに出入りはない。
誰か来い、来い、来い!
逸る気持ちに、指先が疼く。
一発撃ち込んだら、それを合図に元同僚たちが突撃する手筈になっている。まどろっこしい報告は必要ない。歴戦をともにした阿吽の呼吸があれば、開戦の合図だけで十分だ。
風が吹いた。雨の角度が変わる。
一台のバイクが結晶の混じる雨粒を跳ねのけ、洋館前に停車された。
スコープ越しに目を凝らす。
ヘルメットを脱いだオールバックの少年がエンジンを止めた。
同乗していた全身黒の少年とも少女ともつかない高校生くらいの子どもが、あとに続いてヘルメットを取って返す。ヘルメットの下にフードをかぶっていて、やはり素顔は確認できない。それどころか肌の露出はほぼ皆無といっていい。手袋と丈の長いブーツでわずかな隙間も護られている。
バイクの降り方や洋館の玄関への歩き方で、どうにか男だろうと予測をつけられた。
「あれが例の武器商人か……?」
ボスが実際に交渉したことはないが、知り合いで世話になったのが数人いた。
黒づくめの小柄な男、常にフードを身につけていて、赤い爪がトレードマーク。噂の風貌と9割がマッチした男が、今、神雷のたまり場に踏み入れている。
開戦記念の一発目は、あの武器商人らしい奴にしよう。
連れ立つオールバックの少年が扉に手をかけたあたりで、ボスはぐっと脇を締め、グリップを強く握った。雷雨のノイズが感覚の外に遠ざかっていく。
武器商人が身震いしてフードの水気を飛ばす、その一挙手一投足を、明瞭に感知する。ぷひ、と間抜けな笑い声が漏れた。
軽いトリガーを引く――ッグァガシャン……!
突如、鼓膜を引きちぎるような爆音が、雨風を押しのけてビル6階の中に吹きこんだ。
直後、スコープのレンズに集中していた右目に、何かが擦れる。瞼からこめかみにかけて皮膚がちぎれていく。
「ぅっぎぃやあああっ!!!」
ブッシュァアッ!
右目から勢いよく血が噴射された。
発火したような熱さと激痛。右の眼球が赤黒く染まり、やがて視覚機能を失う。
スコープのレンズもカバーも砕けて散らばる床を、這いずるように悶える。バランスを崩したライフルが、ガクンッと床に落下した。
左目に、薬莢もひとつ転がっているのが見えた。
銃の不発か?いいや、ちがう。
音がしたのは、トリガーを引く“間際”だった。
どこからか射撃されたと考えるのが妥当だろう。ライフルのスコープをピンポイントで撃ち抜き、最終的に右目に到達させたのだ。
だがそんなの可能なのか。チンピラ風情がヤクザ並に銃撃戦に慣れているとは到底思えない。
しかも今夜は雨風が強く、雷も鳴っている。この悪天候で正確性を保つのは、実力者でも難しい。
考えられるとしたら、敵襲を読んで超のつく実力者を雇ったか、超近距離から撃ってきたか。
どちらにせよ姑息な手を使ったにちがいない。まさか天候さえ計算できるキレ者がいるわけでもあるまいし……。
(俺を撃った奴はどいつだ! どこにいる!? ぜってえ許さねえ……!)
窓の下に背をつけ、息をひそめる。インナーに着ていたタンクトップの裾を破り、右目を止血しながら眼帯のように裾の切れ端を巻き付ける。
ケースに入れていた予備の部品で、銃を組み替える。外の様子を窺いながら再び射撃体勢に入った。