Q. ―純真な刃―

近隣に6階以上ある建物はない。上を取られる心配がないから、何も気にせずこのビルを使っていたのだ。

となると、凄腕スナイパーが神雷についているということになる。一発で仕留められていい気になっているかもしれない。想像しただけで癪に障る。

自分より腕の立つ人間なんかいない。いてたまるか。煮え立つ血流が、右目の眼帯を赤く燃やした。


左目を新しいスコープにセットする。

神雷のたまり場周辺を探るも、入口に人が集まってきているくらいで、それらしい人物は見当たらない。

範囲を上にずらしていく。2階、明かりのついた大窓で、ふよふよとカーテンが揺れていた。




(この天気で窓を開けてるなんて、ここから撃ってますって教えてるようなもんじゃねえか)




あらかじめメールでもらった洋館の設計図と照らし合わせ、あそこを広間と見当をつける。

風をまとってカーテンがぶわっと波を打つ。似た波形を描く長髪のシルエットを、左目にしかと捉えた。

上質な紅のベロア生地に、沿って編まれる金の糸。




(あいつだ。前に矢を打ったときもあそこにいたから間違いねえ)




あいつが撃ってきたのかと思うと胸くそ悪い。殺気が抑えられない。

教育してやるつもりで狙いを定める。また茶でも飲んでいるようで人影は微塵も動かない。もはや殺られたがっているようにしか見えない。片目しか使えなくても、楽々と脳天に照準を合わせられた。


あとは撃つだけとなったそのとき、雷が鳴った。影が打ち消される。

闇がよみがえると、洋館の2階の大窓に人影が増えていた。ショートヘアと思しきシルエットが、狙いの長髪のシルエットと交じり合う。

ふたつの人影の中心から長物の影が伸びた。




「っは、ひ、やば――」


――バァッン! バァァッン!




とっさに横にスライドするようにして受け身を取った。

突風が窓ガラスを叩く。雨と血で黒ずんだコンクリートの床に、銃弾が二発のめりこんだ。


立て続けに数発の銃声。コンクリートが穴だらけになっていく。

もうここにはいられない。会議室に置き去りのデスクを盾に銃とケースをまとめ、撤退した。


待ち伏せしている奴がいないことを確認しながら慎重に階段を下りていく。

物音ひとつ聞こえないことを確信すると、携帯を操作し電話をかけた。相手はもちろん元同僚だ。無機質なコール音が無性に苛立たせる。貧乏ゆすりが止まらなかった。

6回目のコール音でようやくつながった。秒数をカウントし出した通話画面に、右目の血がべったりと付着していた。




「ひはっ、お前何やってんだ、あぁ!? 洋館の2階にスナイパーいんのわかんだろうが!」




反応はなかった。いや、よく耳を澄ますと音が聞こえる。ザー、ザー。まるで電波がさざめいているような雨音だった。




「おい……おいっ! 聞いてんのかよ! ひふっ、ちゃんとしろっつってんだよ!」

『……ふふ』




返ってきたのは、自分の後遺症をからかうような笑い声。




『逃げ足が速いのね』




中年男にはけっして出せない、声の高さ。
どこか懐かしさを感じるその声音。

とっさに電話を切った。


しんと静まる携帯画面を、下流する鮮血。ぬるりと指が滑る。気持ち悪い。

階段の踊り場で携帯を叩き割った。床に投げ、ブーツで何度も何度も踏みつける。中身の細々とした部品もろとも粉砕した。手に取れないくらい粉々になっても踏み続けた。


そして、一旦立て直そうとビルの裏口から外に出る。

そこにはすでに人が待ちかまえていた。




「お、お前……っ」




中高生くらいの華奢な上背を、安っぽいビニール傘が守っていた。

黒いモッズコートに、布が余って動きづらそうなズボン。フードを深くかぶり、コートのポケットに手を突っ込んでいる。

さっき洋館の入口にいた武器商人の姿だ。




(俺がすぐにビルから出てくると読んで、先回りしやがったのか……?)




洋館からこのビルまでは1キロ以上ある。バイクを使ったとしても先回りは間に合わない。




(奴がふたりいねえと説明がつかねえな。いったいどうなって……ふたり?)




向かいで傘を持つ、その手は、赤いネイルを施していた。

なるほど……さっきのは囮だ。

たまらず舌打ちをした。冷えこむ外気が、布を通って右目の傷を刺す。


本物の武器商人に向けて、ライフル用のケースをぶん投げた。即座にビニール傘が対抗し、正面に振りかぶられる。ケースが傘に弾かれ、地面に落っこちる。その間にライフルを持ち直し、矛先を決めた。

傘の奥に透けて見えるコートのど真ん中。バクバク跳ね上がっているであろう心臓の位置。

今度こそレバーを引き、発砲した。

傘のビニールの面が破裂し、骨組みが宙を舞う。折れた銀の光沢を、ボスは左の視線で追いかけた。


カシャンッ。
傘があられもなく地面に倒れこむと、ふしぎと手元が重くなったのを感じた。


反射的に視線を下ろす。ライフルの先端に鮮やかな赤が点していた。

血がついたにしては発色があまりにきれいで、思考が鈍る。数秒遅れて染料による装飾と気づき、次いでそれが他人の右手と理解する。

ハッと首を回せば、右目の死角に武器商人が移動していた。コートがひとりでに浮遊しているかのようで、背筋がぞくりと震える。


武器商人はライフルを持つ手を不意に力ませた。

力を加減して先端を前に引き、そしてスピードを上げて力いっぱいに押し戻す。ライフルのグリップがボスのみぞおちにクリーンヒットした。



「ぅ、っえぉ……ゥグホッ……!」




呆けた口から舌がだらりと伸び、唾液なのか胃液なのかわからない濁った液体を垂らす。水分量を調節するように雨が口の中に入っていく。

脱力した体からあっけなくライフルを奪い取られてしまう。

頭中をめぐる血管が膨張していくのがわかった。鼻から湯気が立つ。雨に当たってもまったく冷めやらない。


これで出し抜いたつもりかよ、調子に乗んじゃねえよ、ふざけんなよ、狩られるのはそっちなんだよ。

雷鳴に負けない奇声を上げながら、渾身の右拳を振り上げた。

武器商人は華麗にジャンプして一歩分あとずさる。フードの端に拳がかする。フードがふわりと広がり、外れていく。


放り出された髪の毛は、想像以上に長く、軽やかだった。


夜を縫う稲妻のような金色の髪。
氷雨を浴びて艷めく女の顔。
爪と同じ色で闇を弄ぶ、真っ赤な口紅。




(……は……武器商人じゃ、な)


「あら。娘の顔も忘れてしまったのかしら」




雷雨をすり抜けて直接聴かせてくるその声に、記憶を揺さぶられる。古いものから、新しいものまで。




「ひ、ひ、ひ……さっき電話に出たのは、やっぱお前だったのか」

「ふふ」

「つうことは、2階にいた奴こそが本当の囮だったのかよ、ふん、つまんな」




商品番号0番として大金に替えるはずだった、血を分けた実の娘。

それが年を重ね、今、なぜか不良グループの総長となり、立ちはだかろうとしている。


商品のときは従順でかわいげがあったのに、今や見る影もない。恩知らずなゴミだ。いったいどこで育ち方を間違えたのか。

ボスは憐れに思った。心の底から。自分のことを。




「携帯の持ち主をどうした」

「……」

「くひっ……黙ってねえでさっさと白状しろ!」

「あらあら……癇癪を起こす癖は直っていないのね」




笑い方の趣味は変わったようだけれど、とあやすような口調でささやく。

どちらが親なのかわからない振る舞いに、ボスはカッと顔を赤くする。並びの悪い歯を剥いて喚いた。




「おめえのことを忘れてたかって聞いたよな? ひはっ、思い出したわっ! 裏切り者の女狐がっ! お前を産んだ女とそっくりだ! いるだけで害になる! 金になんねえなら、あの女みたくはよくたばりゃいいのによ! ひっはは!」

「そんなくだらないことを憶えていたの? 頭の使いどころを間違えていなくって?」

「あ? てっめえ……くひっ、ひ……俺ァ知ってんだぞ。お前が俺らんこと追っかけ回してる女王(主犯格)だってことも、あの手この手使って商品(ガキ)を護ってやってることもなァ!」

「そう、最近調べたのね。新道寺緋に挑発され、躍起になって。そうでなければ今さらすぎるもの、この再会も、銃撃も」




終始上からな物言いが気に食わず、ボスはキッと目に力を入れて睨みつける。右目に激痛が走った。雨に濡れた頬に、ぬるい温度が伝う。

図星だった。

今まで逃亡生活に必死で、子どもを持っていることなどすっかり忘れていた。というか我が子だと思ったことは一度もない。

名前は……はて、何だったろうか。

所詮取るに足らない存在。いてもいなくてもどうでもいい。使い勝手がよくて、金になるからもらってやっただけ。




(……こんなことになんなら、地下牢(アジト)で息の根止めときゃよかった)




忌々しいこの畜生(ガキ)を、ひどくいじめたい衝動がこみ上げた。

早く泣かせて、傷つけて、その痛々しい女王のメッキを剥がし、二度と口をきけなくしてやりたい。

いらないものは無視するのではなくて、ちゃんと処分しないとだめなんだ。


上着の下のベルトにかけていたサバイバルナイフを取り出した。まずは仕返しに彼女の右目へ切っ先を突き上げる。

彼女はしなやかに背を反らしてかわした。そのまま足を逆立てる。足はボスの顎を蹴って頂点に達し、宙返りをして着地した。

ボスはしゃくれながらもナイフを振り回し続ける。彼女のコートの袖がビッと切れた。間髪入れずにナイフを両手で持って畳みかける。全体重をかければ、女子どもでは太刀打ちできまい。

しかし彼女は避けようとせず、耳元の髪をいじってよそ見をしていた。無防備な横顔に容赦なく体当たりしに行く。


衝突間際、奇しくも雷が落ちた。


強烈な光線に左の視界が一瞬遮られる。

勢いがゆるんだ、その一瞬のうちに、ナイフを握りしめる両手の首を捕らえられた。動脈をつぶしかねない強さで払い落とされる。


よろめいた体を持ち直そうとするも、雨で足が滑り、地面に膝をついてしまう。

ナイフの表面に、疲弊した自分の顔が映った。

負けを認められず、ナイフを彼女に投げつける。

彼女は平然とナイフの柄の部分を殴って跳ね返す。風に乗り、ナイフは遠くのマンホールまで吹き飛んだ。カランカラン……と金属音がよく転がる。




(……なんだ……なんか、おかしくねえか……?)




一対一でここまで一方的になっている戦況が。


右目を殺られた代償が大きいのか。いや、紅組幹部だった戦闘力はその程度では衰えない。

戦闘力ではなく身体機能のほうが、自分でも気づかぬうちに衰えていたのだろうか。いや、相手も未成熟な小童、しかも女だ。まったく歯が立たないなんてことはありえない、形勢が逆ならまだしも。


ツキがない。その一言に尽きた。
まるで天があちらに味方しているかのように。


誰も加勢しに来ないのもおかしい。

敵の大将と戦っているのだから、ふつう元同僚や誰かしらは駆けつけるだろう。無駄に音や声を出していたのは、位置を周知させる意図も含んでいたというのに。

そういえば、と周囲を見渡す。どこからも似たような騒ぎが聞こえてこない。真夜中なことを思い出させる静けさだ。それでいて、人の気配はぷんぷんする。




(何かがおかしい……。味方は生きてんのか? ……本当は、俺ひとりだけが囲まれてるんじゃ……?)


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