Q. ―純真な刃―


ひときわ目立つ星を視野から外れないよう気をつけながら、コートを脱いで腕に提げ、群衆の後列に紛れこんだ。

塵ひとつ落ちていない校舎に入った生徒は、おのずと各教室へ枝分かれする。新道寺の周囲にいるファンのような生徒も、少しずつ散っていく。


成瀬は50メートルほどうしろから新道寺の行く先を追った。

広大なエリアにそびえる校舎もやはり桁違いの開放感があり、前進するほどに人の声が遠のいていく。

白く光沢のある廊下を影薄く歩いていると、奥のほうに職員室の表記が見えた。




(うわ、まっず)




反射的に近くの階段前に避難する。直後に先生らしき正装姿の男性が職員室から出てきて、通りかかった新道寺に話しかけた。あっぶな……と成瀬は柱の陰にしゃがみこんだ。




「新道寺! 今回はお手柄だったな!」

「ありがとうございます。ですが本当にたまたまで……」

「たまたまでできることじゃないさ。君の勇気と行動力あってこそだ。……とはいえ、身を危険にさらす真似は、今後は控えてくれよ? 君に何かあっては困る。こんなこと言わなくても君はわかっているとは思うが」

「はい、重々承知しています」




評価から指導をさらりとこなすあたり、さすがはこの学園の教員なだけある。

成瀬の在籍する西校では、義務教育終了を宣告するみたく不干渉で、授業外で先生と生徒が気兼ねなく話す光景は滅多に見かけたことがない。欠席の多い成瀬だけかもしれないが。


男性教諭は新道寺の肩をぽんと叩いた。繊細な金糸を羽織る細い肩がとっさに力んだ。

それをまやかすように、新道寺は礼装用の白手袋をした手で、肩にかかる髪を一本残らず掃いた。制服に黒のハイネックを重ね着した首元に、窓から射しこむ明朗な夕陽を凝縮したようなきらめきが触れる。


数奇にも、成瀬の潜む階段からはどうやっても角度的に新道寺の顔を窺えなかった。

少し話をしたあと、新道寺は一礼して男性教諭と別れた。成瀬もすぐにでも職員室という危険地帯を離れ、尾行に専念しようとするが、




「そこのあなた、何しているんですか」




誰かに声をかけられた。

渡り廊下の方向から来た背広姿の女性は、職員室を目指す道中、なんとなく近くの制服姿に意識を留めてしまったのだ。




「もうすぐホームルーム始まりますよ」




おそらく彼女も教員なのだろう、だからたかが生徒ひとりを見過ごさない。

潜入中の成瀬にはおせっかいにも感じられたが、もしかしたらこれがふつうなのだろうか。ふつうの大人は、こんなふうに自然と世話を焼けるものなのか。




「それとも何か職員室にご用ですか」

「え、えっと……」




接近してくる女性教諭に、成瀬は限界まで顔を逸らし、両手でマスクを顔に押し当てた。




「う……ゥゲッ、ケホッ、カッハ……!」

「ど、どうしました?大丈夫?」

「み、水を……」

「え?」

「水が、ほし……ケッホ!!」

「み、みず……水、お水ね! わ、わかったわ! すぐ持ってきますから、ここで安静にしているんですよ!」




職員室前で騒ぎになるのは避けたいので、音が響かないよう、喉奥に詰まったものを吐き出すイメージでマスク内に息をこもらせた。たまにえづくような音が漏れ出たことにより、想像以上にシリアスなムードが形成される。

焦った女性教諭が水を取りに職員室に駆け込んだ。

瞬間、成瀬はダッシュでその場を離れた。無駄に心配かけてしまったことに良心が痛み、ヒールがぐらりぐらりと落ち着きを失くす。何度かこけそうになりながらも首だけ振り返ってみる。追っ手は来ていないようだ。




(はああ〜、ひやひやした……。あいつは? どこいった? ……あーいたいた)




道なりに進んだ先でブロンドの髪が揺れていた。学園の優雅な風潮のおかげか、さほど距離は離れていなかった。

突き当たりの階段をのぼる新道寺を追いかける。いつの間にか人気がなくなっていた。足音でバレないよう成瀬は靴を脱いで階段を上がる。

3階までいくと、雪が降ったかのような静寂に呑まれた。ホームルームが始まりそうな活気はどこにも見受けられない。




(こっちにクラスがあるとは思えないけど……。まさか俺のこと勘づいてる?)




不審感から間隔を広く空ける最中、3階フロアに設けられた多目的トイレに新道寺が入っていくのを目にし、あーなんだと呆気にとられた。

多目的トイレの手前に監視カメラを発見し、成瀬は階段の踊り場で待機することにする。なんだかこれでは自分が奴を狙っているみたいじゃないか。こんなんでも一応、正義に則った作戦なんだが。


校内は全面床暖仕様なのか、タイツ一枚でもちっとも寒くない。けれどコートに靴まで荷物になるのは勘弁なので足に靴を戻した。どっしりとした四角い支えに、クッション性ある中敷きで、足に負担がかからないよう設計されている。欠点をあげるとすれば、つま先部分がスリムすぎるところくらいか。

負担があるのは、どちらかというと喉のほうだ。風邪の演技のしすぎで本当に喉がガサガサしてきた。今のうちにマスクをずらし、新鮮な空気を取り入れる。リップを塗りたくられた唇も乾いていた。

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