Q. ―純真な刃―

どこへなら



『令月の頭、夜の街の十字架を拝み待たれよ』



高価な品々の並ぶ広間で最も価値のある、美しい女王を狙い撃ちした矢文。

明らかな殺意を孕んで速達された、手紙と呼ぶには不気味で粗悪な付随品には、見た目に見合った怪文書が記されていた。


たまり場全域に捜査網を敷いていた構成員を呼び戻した広間では、長テーブルに添えられた紙切れに、全方位から阿修羅の眼差しが注がれていた。



つい数分前までガラスの破片できらめいていた窓際の床は、ちりひとつなく清められ、外界との隔たりをなくした窓には替えのガラス板をはめられた。そうしてサンクチュアリはただちに復活した。

新品の窓から覗く、凝血のように赤黒い薔薇園。そのうちの何本かは宵闇に頭を垂れるように花弁をしおらせている。

黒魔術が行われていてもなんらふしぎではない庭園を、見向きもせず早足で横切った少年がいた。追跡隊の先駆け、勇気である。エキストラの衣装を今も着たまま、彼は広間の開放された扉へ直行した。

広間にいる全員が彼のほうに首を向ける。彼は来たばかりだというのに居心地悪そうにかぶりを振った。




「だめだ。足跡すら残ってねえ」




ドラマ撮影を切り上げ、風都がスタッフを都心に避難させた神雷の縄張りは、いつもの張り詰めた静寂に戻り、部外者は人っ子ひとりいなかった。

そうとう手際がいいのか、証拠となり得る痕跡もどこにも見当たらなかった。


矢を放たれてから3分以内に見つからなければお手上げだろう。と、姫華はお気に入りのカップを犠牲にしたとき、当たりをつけていた。

ずさんな犯行ならともかく、撮影用のカメラが回っていてもおかまいなしに弓を引いた犯人が、都合よくヘマをしてくれるとは考えにくい。


一投で混乱を招いたわりに二の矢三の矢が放たれなかったことで、姫華の課した制限時間は確証を持って動き出した。最初から目的はこの矢文のみであるがために逃げ足が尋常なく早かったのだ。

あえて姫華のいる広間を狙ったのは、あわよくば総長を殺れればラッキーくらいの考えだったのかもしれない。



捜査開始からきっかり3分。
読みどおり膠着状態となり、姫華は全員に一時撤退を知らせた。

まずは、情報共有だ。最後の帰還者、勇気の登場で、対策本部は本格始動した。




「ん? なんだこれ」




走り回りすぎて羽織だけでは足りず半裸になった勇気は、冬の季節を置き去りにしたままテーブルを囲む面々に加わった。真っ先に問うのは、やはり、卓に置かれた長方形の紙切れについてだ。

紙の真ん中に印字された、意味深なメッセージ。『令月の頭、夜の街の十字架を拝み待たれよ』一見、回りくどくてわかりにくいが、解読は至って簡単だ。

仕事の早い汰壱が、意訳を書いた手のひらサイズのふせんを、その紙切れの横に貼りつけた。




「令月は2月、来月のことですね。そして、夜の街はそのまま繁華街、十字架は繁華街にある十字路を指していると思われます。つまり……」


『2月1日、繁華街の十字路に来い』




果たし状とも取れる文面だった。

意図までは掘り下げられないが、校舎裏に呼び出し程度で済まされないのはたしかだ。




「俺らに喧嘩売るたぁいい度胸してんじゃねえか!」

「February 1st……何をするつもりなんでしょうか。テキスト入力なので筆跡のヒントが得られないのが残念です」

「え? 何するって、だから喧嘩だろ?」

「Are you serious? そうだとしたら会場のチョイスがナンセンスですよ」




人も交通量もあふれかえった繁華街の交差点で、大武闘会など開いたら、一般市民がごろごろ巻き込まれ、あわや刑務所行きだ。




「しかもFebruary 1stといえば、繁華街でバレンタインフェスがスタートする日。いつも以上に混み合うのは目に見えています。そんなところで開戦してみなさい、抗争ではなく無差別殺人になりますよ」

「まあそうか……」

「……あっ」

「な、なんだよ円」

「俺その日、1日オフだ。監督がデートとか言って」

「Wow! そうでした!セーイチロー殿とサクラコのハッピーウェディングアニバーサリー!」

「そりゃあめでてえが今はくそどうでもいいな。俺らはふつうに学校だし」




汰壱の襟足に留められたエクステを、隣にいる勇気がべしっと叩く。汰壱は咳払いをして気を取り直した。




「何かが起こるとしたら放課後でしょうから、ボクたち在学組も支障なく立ち会えますよ」

「放課後? どっかに時間書いてあったっけ?」

「No. ですが繁華街をわざわざ『夜の街』と言い換えているので、日が暮れてから何かをしでかすのではないかと」

「なるほどな。夜……ピーク帯か……」

「極度の目立ちたがり屋さんですね」

「んなかわいいもんじゃねえだろ」




学生が半数を占める神雷の構成を熟知しているかのような。あるいは、裏社会の仕事柄、稼働しやすい時間帯にしたような。どちらにせよ、たかが承認欲求でどうこうする次元は超えている。




「俺らを見世物にしようとしてんじゃねえの」

「Why?」

「なんでって、決まってるだろ、神雷(俺ら)をトップから引きずり降ろしてえのさ。一般市民を前に手を出せない俺らを袋叩きにするとか、何かよからぬことを起こして罪を俺らになすりつけるとか。そういう卑怯な手を使って、下克上ドラマを作ろうとしてんだよ!」




勇気は拳でテーブルを突いた。エキストラで参加した撮影に引っ張られ、だいぶ時代劇調の振る舞いになっている。はだけた上半身が、無駄に相乗効果をもたらしていた。

こころなしか自分からドラマを始めてしまっていそうなムードではあるが、断ち切ることなく汰壱は顎をさすって首肯する。




「トラップ、ということですか」

「いいことではないのは、まちがいないわね」




これまで部屋の最奥で聞き手に徹していた姫華が、冷静に確信を口にした。

単にこの1文を伝達するだけなら、いくらでも手段はある。メールやSNS、先日のように電波をジャックすれば確実だろうし、手紙にこだわるならポスト投函が手っ取り早い。なのに、わざわざ窓ガラスを割るという、厄介で派手な方法をとってきた。悪意の塊でしかない。




「女王! こんなことする奴、あいつしかいねえっすよ!」

「あいつとは?」

「武器商人っすよ! これがあいつの答えなんです、俺らと共闘する気はねえんだって」




勇気は12月にあった、バカの奇襲を思い出していた。

あれは、武器商人にそそのかされたホームレス2人、もとい猿2匹が、この洋館に正面から乗りこみ、丁重におもてなしされたのだった。


失うものなどないホームレスであれば、繁華街の雑踏でも後先考えずに殺りに来るだろう。警察沙汰になっても主謀の武器商人にとっては後腐れなく、だからこそ公衆の面前で武器を乱用するおそれがあった。

無関係な人を脅かし、神雷の面目をつぶし、街を大恐慌の渦に堕とす。それはたしかに、汰壱の言う無差別殺人そのものであった。

敵陣地で決闘のほうが百億倍マシだ。




神雷(俺ら)を手下にすりゃ、武器の流通を止めるもんはいなくなるし、素人を雇う必要もなくなる。武器商人からしたら、そっちのほうがそそられたんでしょうよ。でも決闘じゃ勝ち目はないから、こんなまどろっこしい計画を立てたんすよ!」




ケッと唾を飛ばす勇気に、気持ちやさしく待ったをかけたのは汰壱だ。




「待ってください、現段階で断定するにはあまりに証拠が足りなすぎます」

「けどほかに手がかりはねえだろ!?」

「それが……あるんですよ、こちらに」




そう言って手を差し向けた正面には、青のブレザーの成瀬。……の右横に、洋館(ここ)では目新しい顔があった。




「どうも。おじゃましています、利央です」


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