Q. ―純真な刃―
どうしたい
「交通事故ですって」
「タイヤが急にパンクしたらしいぜ」
「道路に釘でも落ちてたのかな」
「それにしたって可哀想よ」
「日本を代表する人たちだったのに……どうして……」
先週、2月1日、午後6時前。
風都の地元である街の交差点で、電柱に車がぶつかる事故が起こり、運転していた風都とその助手席に乗っていた妻の桜子は帰らぬ人となった。
国の損失とも言えるこの訃報は、連日各メディアが報道し、日本中に鬱々とした大雨を与えた。
最終章を迎えたドラマ【純真な刃】は、最終回のクライマックスシーンが収録されないまま、一時放送中止を発表。監督亡き今、撮影再開の目処は経っていない。
事故は、風都の愛車がパンクしたことが原因とされた。
タイヤに不自然に空いた穴に、事件性をみて警察が捜査したものの、これといって手がかりはなく、結局事故として片付けられた。
その関係で、死亡が確認されてから1週間経った今日、親族および関係者のみで葬儀が執り行われる。
「お母さ……っ、お父さん……! なんで……いや……っやだよ……うう……! 置いていかないで……っ」
会場に来場者が集まっていくなか、棺の前で泣きわめくひとりの少女の姿があった。
紺色のセーラー服を着たその少女は、事故当時、スキー合宿で実家を離れていた、風都家の一人娘・由楽だ。
棺を抱くようにうずくまり、今にも嘔吐しそうにえづく由楽のそばに、いとこの汰壱と桜子の姉にあたる叔母が付き添う。
汰壱の親であり風都の妹、そしてその夫は、まだ中学生で幼い由楽に代わり、喪主として式の手続きや段取りを買って出た。無理やりやるべきことをつくって忙しくしないと正気を保てそうになく、どうしようもない喪失感から必死に目を背けていた。
一歩間違えば後追いしかねない親族の様子を、成瀬は式場うしろの壁際で始終傍観していた。
風都にしつこく見せられた妻子の写真が脳裏をよぎる。どの写真にも明るい笑顔があった。けれどもう、拝むことはできないだろう。
悲痛な泣き声が、事故現場の記憶を呼び覚ます。
風都や桜子と最期に言葉を交わした人。自分がそうなるなんて成瀬は思いもしなかった。あってはならないことだった。
多くの人々に愛されるふたりが、なぜ喪われなければならないのか。
車のパンクは本当に事故だったのか。
(ちがう、あれは事故じゃない……!)
成瀬ら神雷は、知っている。
『令月の頭、夜の街の十字架を拝み待たれよ』
日時と場所を予告した怪文書。
現場にともに居合わせた、赤い爪をした見知った男。
偶然だとは片付けられない。
(なんでパンクしたのが監督の車だった?どうせするなら、俺だったらよかったのに)
自分がここにいる意味が、わからない。
成瀬はいたたまれず外に飛び出した。ここ1週間ろくに食べておらず、足腰は不安定にぐらついた。人気のない会場の裏口に行き倒れるようにへたれこむ。
薄膜の雲が昼過ぎの青空を煙たげていた。
心音が軋む。それは怒りか、悲しみか。明確に名前をつけられず、成瀬はわざと強く胸を叩いた。そのせいでゲホゲホと咳き込み、目頭に涙がこみ上げる。
涙と一緒に、監督、と情けない声が滴った。
『はじめまして。監督の風都です。先日は妻の桜子が映画で世話になりました』
『……どうも』
『成瀬円って、芸名?』
『本名っす』
『そうか、いい名前だな。人との縁をつないで輪になるような』
『……んないいもんじゃないっすよ。ただの通貨です』
過去のトラウマで卑屈になった成瀬に、風都は初対面のときからやさしくしてくれた。
『今回はオファー受けてくれてありがとう』
『まあ、スケジュール的に行けたんで。……でもなんで俺? 桜子さんから何か言われたんすか?』
『いや、話を聞いたのは千間からだ』
『え、千間さん? 知り合いなんすか?』
『ああ、俺の後輩。千間が君のこと、危なっかしい子って話してたよ』
『……危なっかしいって……』
『君も隣町に住んでるんだろ?』
『そんなことまで聞いたんすか』
『悪いな。俺の地元でもあるから許してくれ』
『……はあ、まあどうでもいいっす』
『……話に聞いていたとおりの子だな』
『え?』
『いや。なんて呼ぼうか? 円くん?』
『……シカク』
『ん? なんて?』
『…………なんでも。ふつうに、円でいいっす』
『じゃあ、円。これからよろしくな』
『……はい』
成瀬にとって風都は監督で、それ以上でも以下でもなかった。
でも、いざいなくなると、負い目を感じてやまない。
あの日――サンカクを連れていかれてしまったときと同じように。
(犠牲になるべきは、きっと、俺のほうだった)
成瀬は自問自答を繰り返し、やがてそうとしか思えなくなった。
だって、産まれることすら望まれなかった人間だ。
いや、昔は人間扱いもされてこなかった。
要らないおもちゃを棄てるように、肉親が成瀬を少女に見立てて売り飛ばした。
“円”は、ただの通貨。
愛はこもっていない。
金と引き換えに寿命が延びるだけだった。
だからだろう、地下牢のボスに小間使いされた娘・マルを他人には思えなかったのは。
無理やり連れてこられた他の被害者は、なんだかんだ全員身なりがよく、監禁されても性根は腐らず純粋なままで、人生恵まれてきたであろうことは明らかだった。
それに比べ、ボスの実子であるはずのマルは、誰よりも汗水たらし、傷をつけ、体を汚していた。
ふたりの地獄は地下牢の外でも続く。
ふつうの幸せは永遠につかめない。
それでも死にたくない。
生きていたい。
そう思えたのは、自分と同じように不幸でも、自分より何倍もがんばっている子がいたから。
(だけど……)
その結果がこれなら、やっぱり生きていてはいけなかったのではないか。
もしもあのとき風都たちと話さなければ。
ドラマのオファーを引き受けなければ。
そもそもはじめから出会わなければ。
地下牢でボスに引き抜かれたのが、愛されたサンカクではなく、無価値な自分だったなら。
こんなことにはならなかったのではないか。