キズ色カフェタイム
うつむいた彼は、ぽつりとつぶやいた。
「嫌われましたよね。この程度で傷付いたりすねたりするなんて、扱いにくいガキだって、呆れられただろうな」
「わたしが読み取った範囲では、メンバーはきみに戻ってきてほしがってる。きみのベースでないと、バンドは立ち行かないよ。正直に、彼らの前で泣いてみたら?」
「泣きませんよ。泣けません」
「それも嘘だ」
彼の耳にわたしのフィルターをぶつけると、かつんと硬い音とともに、痛みのかけらが爆《は》ぜた。
わたしの左手を貫いたその衝撃は、無論、彼にも突き刺さる。
不意打ちに、彼は顔をしかめた。
「痛いな。何ですか、今の?」
「泣かしてやろうと思って」
「精神に直接、痛みを突っ込んでくるなんて、あんまりです。ずきずきする」
「それがきみ自身の、見ないふりを決め込んだ痛みの実態。今みたいに、正直に痛いと言えばいいんだ。
泣きわめこうが怒り狂おうが、きみがどんなに子どもっぽい振る舞いをしたとしても、誰もきみを嫌わないよ。
むしろ、わたしみたいに安心する人間ばかりだ」
「だから、その安心ってどういう意味なんですか?」
「年下くんには正直に甘えてほしいって意味」
「今さらですよ」
「残念ながら、物事はそう簡単には終わらないよ。日はまた、昇ってしまう。朝が来る前に泣きな。つらいなら、無理しないで」
彼が、長く深い息を吐いた。
吸い込む息に、静かな嗚咽《おえつ》が交じった。
ざらざら、ざらざらとわたしの手に流れ込む痛みが、涙の水圧に押されて濾過《ろか》の速度を上げる。
ぽつぽつと、涙の雨が降る。
彼が目元を右手で覆った。
ベーシストの長い指を、透明な雫が伝って落ちる。
落ち着くまで泣けばいい。
少しすっきりしたら、時間潰しの適当な相手じゃなく、本当に会いたい人に連絡すればいい。
きみたちのバンドがもとに戻ってもらわなきゃ、こっちが困るんだ。
きみたちの演奏は、わたしにとって貴重な浄化の機会だから。
きみを気に掛けるのは、純粋にきみのためってわけじゃなく、わたしのために過ぎないんだよ。
そんなふうに笑う濁った本心は、胸の底に隠しておく。
わたしはただ、赤黒い手で彼の真珠色の耳を包んで、静かな嗚咽を聞いている。
カップに半分の彼の紅茶の隣で、手付かずのわたしの珈琲が湯気と香りを失っていく。
ここの飲み物くらいはわたしが奢《おご》ろう。
彼の気が進むなら、夕食も奢ろう。
年下の男の子は、たまには正直に甘えてくれていいのだから。
【了】
BGM:BUMP OF CHICKEN「レム」


