わたし、BL声優になりました
「……やっぱり私、事務所に戻ります」
開口一番、ゆらぎは緑川に告げた。
モーニングコーヒーの支度を終えた緑川は、綺麗に磨かれたガラステーブルに、コーヒーカップを二つ並べる。
湯気とともに芳醇な香りが鼻腔を掠めた。
「どうして? きみには不自由をさせないって言ったはずだよ。欲しい物なら何でも用意するつもりだけど」
緑川はソファに腰を落とすと、カップを片手に疑問を返した。
「違うんです。そうじゃなくて、今の私は何もかもが中途半端で……それが嫌なんです。
事務所を辞めるにしても、ちゃんと社長に全てを話してからじゃないと……」
「でも、それじゃ黒瀬と会うことになるよね? それはいいの? もう、会いたくないんじゃないの」
「そのことについても、決着をつけようと思います。多分、黒瀬先輩に会ったら辛くなるのは分かってるんですけど……」
「なら、無理に会う必要はないと僕は思うよ」
「…………」
ゆらぎはうつ向き、言葉を詰まらせる。
「じゃあ、言い方を変えるね。──行かないで。黒瀬と会わないで」
「……え?」
緑川の言葉に、ゆらぎは目を見開いた。
いつものように、からかっているのだと思った。だが、緑川の表情はいつになく真剣で、それでいで、哀しげな瞳は彼女を捕らえて離さなかった。
「僕が嫌なんだ。きみが黒瀬と会うのが。会ったらきっと、もう、ここには戻って来ないよね」
「それ、は……」
「約束してくれる? 僕のところに戻って来てくれるって。
出来るなら、いいよ。行っても。
でも、僕も本気だから。
そう簡単に、きみを手離すつもりはないし、黒瀬に渡すつもりも毛頭ない。
それはあいつも分かってると思うけどね」
緑川の言葉に心が揺らいだのは、罪悪感なのか。
ゆらぎは、咄嗟の嘘をつくことも出来なかった。