羊かぶり☆ベイベー
ようやく吾妻さんの足が止まったのは、ある宿泊部屋の前だった。
「ごめん。無理矢理、連れてきて。手首、痛くなかった?」
眉を下げて、尋ねてくれる。
私は左右に首を振った。
「……大丈夫です。ありがとうございました」
助けてくれて。
手は離れたのに、まだ温もりが微かに残っているような気がして、手首から手の甲にかけて摩る。
「いいえ。丁度、みさおさんを見掛けたとき、部屋に戻ろうとしてたところで……」
「え? 宴会は……?」
「もう終わりがけで、部屋に戻る人は戻ってた。残っている人は、これから、どこか外へ二次会に行くらしい」
「そう、ですか」
それなら、良かったのかな。
もともと宴会を離れるつもりだったのなら、吾妻さんにも迷惑がかからないで済むのかもしれない。
吾妻さんは今回の旅行は、うちの社員の観察、ある意味で偵察を兼ねた、お仕事の一環で来ているとも聞いていたから。
私もようやく、頭が回るようになって、冷静になってきた。
ということは、今、目の前にある、この部屋は。
『丁度、みさおさんを見掛けたとき、部屋に戻ろうとしてたところで……』
恐らく、吾妻さんの部屋?
ほぼ確信に近い答に、気まずくなる。
「わ、私も、部屋に戻ります」
それだけ言って、背を向けようとした時。
「待って」
慌てた口調の吾妻さんに呼び止められて、ゆっくり振り向く。
私と目が合うと、気を遣われているのが、明らかに分かる微笑みを見せた。