氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
氷雨の小言が炸裂した後、朔は氷雨を別室に連れ込んで難しい顔をしていた。

朔がそのような難しい顔をするのはとても珍しいため、氷雨も身体を固くして緊張していたものの――朔が縁側に座って外を見たまま中々話さないため、待ち疲れた氷雨は近くに座って茶を飲みながら横目で見ていた。


「なんか言いたげだけど、どした?」


「……朧に子ができた」


「ああうん、それで?」


「…いよいよお前は俺たち鬼頭の身内になったということだ。そうだな?」


…なんだか朔が口ごもっている。

これも非常に珍しく、薄くて形の良い唇をどこか尖らせている朔ににじり寄って座り直した氷雨は、居心地悪そうにしている朔の顔を覗き込んだ。


「そうだけど。はっ、今更お前は朧の夫として失格だとか言われても離縁なんて絶対しねえからな!?」


「…そんなことを言いたいんじゃない。…ところでお前は俺の真名を知っているか?」


――当然のことだ。

百鬼夜行の当主は代々‟主さま”という通り名で呼ばれているが、朔の真名はそのまま朔であり、鬼頭家の者たちと、銀など一部の者しか朔を真名で呼ばない。


「そりゃあ…知ってるけど?」


「じゃあ呼んでみろ」


「はっ!?えと…いや…それは…」


「幽玄町に帰るまでに呼ばないとお前は置いて帰る」


「!?ちょ、待って…」


言いたいことはそれだったのか、肩の荷が下りたと言わんばかりに大きく伸びをした後部屋を出て行ってしまった朔を茫然と見送る氷雨。


「本気で…待って…」


赤子の時からずっと一貫して真名は呼ばずにきたが、ここにきて正念場。


「待って…」


冷や汗をかきながらひとり何度も呟いていた。
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