氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
何故か顔色の悪い氷雨が戻ってきたため、出迎えた朧は氷雨の袖を引いて心配そうに見上げた。


「朔兄様と何かあったんですか?」


「あーいや、なんか真名がどうたらこうたら…」


それでぴんときた。

自分には記憶はないが、こんな短い時間の中でも朔が氷雨をとても慕っているのは傍から見ていても分かる。

真名を明かし、親しい者に真名を呼ばれることは、とても大切で愛しい儀式のようなもの。

心を込めて呼ばれると身体の隅々まで何かが浸透してゆくのが分かる。


「氷雨さんはどうして朔兄様を真名で呼んであげないんですか?」


「なんでっていうか…それが普通だろ?俺は単なる百鬼だったし、当主の真名を呼ぶなんて本来恐れ多いわけだしな」


「そんな堅苦しく考えない方がいいですよ。気軽に呼んであげて下さい」


すり、と身体をすり寄せた朧は、明日全てが終わって記憶が戻る前に、どうしても氷雨にお願いしたいことがあってうるうるした目で氷雨を見つめた。


「氷雨さん、記憶が戻る前にしてほしいことがあるんです」


これには今度は氷雨がぴんときた。

だがわざと気付いていないふりをして壁にもたれ掛かって座ると、すぐさま隣に座ってきた朧に首を傾げてみせた。


「なんだよ」


「その…私…氷雨さんに可愛がってほしくて…」


「可愛がる?具体的にはどう可愛がられたいわけ?」


「え…具体的にって……い、いいんです聞かなかったことにして下さいっ」


「駄目ー。言わないとお前は明日居残り組にしてやるからな」


「えっ」


もごもご。

それから朧は口ごもり続け、面白くて仕方なかったものの、朧のおねだりを受け入れて、腹に負担がかからないよう細心の注意を払いながら愛した。
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