氷雨逆巻く天つ風の夜に【完】
翌日氷雨は朧と共に観光へ繰り出した。

さすがに新婚旅行らしいことはしないとと思い立ち、猫又と共に朧の用意ができるのを待っていた。


「能登って何が有名なんだっけ?」


「これといってないんだけど、景色は素晴らしいよ。峡谷とか海の美しさは随一だと僕は思ってる」


「のんびりできていいな、そうするか」


猫又の毛を梳いてやりながら泉と話していると、台所で何か作っていた朧が支度を終えて氷雨の袖を握った。

軽い身のこなしでひらりと乗り込んだ氷雨は、風呂敷を受け取って朧も乗らせると、にかっと笑った。


「じゃあ夕暮れまでには戻るから」


「行ってらっしゃい」


如月は縁側に座って煙管を吹かしながら手を振っていた。

氷雨はそれを見てやっぱり女版先代だなと改めて思い、春風を浴びながら空を疾走した。


「能登は景色がいいんだってさ。どっか見たいとこあるか?」


「あ、私人里にも行ってみたいけど…ううん、いいです」


朧ひとりならぎりぎり人の中に紛れ込むことも可能かもしれないが、氷雨は特異すぎる外見なためそうはいかない。

幽玄町のように妖と人が共存できる町など存在するわけがなく、朧が遠慮すると氷雨は朧の髪を撫でた。


「ごめんな、幽玄町以外はまだまだ妖と人は仲良くできねえんだ。主さまたちともっと頑張るから、いつかは大手を振って人里に下りることができるようにするから」


「はい」


互いに気を遣いつつもふたりきりの貴重な時を楽しく過ごすため、気持ちを切り替えたふたりは夜明けを迎えて陽が昇ってきた海岸に着いた。

朧はかつて氷雨から逃げていた時に海の近い家に住んでいた経験があり、簡易式の茣蓙を敷いて波の満ち引きを穏やかな気持ちで見つめた。


「海を見ると思い出すなー。誰かさんが俺から逃げてた時のこと」


「!わっ、私もそう思ったけど言わないでっ」


朧に手で口を塞がれたものの、氷雨はその手をぺろっと舐めて外すと、朧を膝に乗せて笑い声を上げた。


「あれも良い思い出だと思わないとな。俺、女から逃げられたのなんかはじめてだったし」


「ふうん…」


失言してしまった氷雨は話題を変えるため風呂敷を開いておにぎりや卵焼きを見て目を輝かせた。


「美味そうだな」


「食べましょうね、さっきの話を具体的に聞かせてもらいますから」


…話題を変えることに失敗。
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