オフィスの野獣
「俺が誰とどんなことしてたって、藤下さんには関係ないことだよ」
穏やかな声色で、私に殴られた西城斎は肩をすくませた。もしかして日常から女に殴られ慣れているのかこいつ。
自分勝手なやり方に呆れるしかないし、ムカついた。
何度殴ったところで、一夜の過ちは白紙にはならないから。どうしようもないもどかしさ。きっとこの男に何を言ったって、掠りもしない。
「……そうやって泣かせてきたんだ。あんたみたいなクズ、見たことない。私に飽きたら、次はあの女? そうやって何人傷つけてきたの? あの程度の優しさで、自分が赦されたとでも思ってるの? あんたみたいなクズな男がいるから、こっちが傷つけられるんだよ!!」
今までどこかにぶつけたかった感情を、目の前にいた西城斎にやっつけにぶつけた。
ずっと自分の中に押し込んでいたけど、これからも誰かに打ち明けるつもりなんてなかったけど、たまらず口から吐き出した。やられっぱなしじゃ、嫌だったから。
不気味な沈黙が、暗がりのオフィスに響いている。
そして彼は、静かに口を開いた。
「うん。そうだね。俺は確かに藤下さんを傷つけた。恨まれても仕方ないと思ってる。嫌なことがあったら、一生俺を恨んでくれて構わないよ。それで藤下さんが、立ち直ってくれるなら」
私からこんなに罵倒されても、彼には掠りもしない。その美しい顔が、醜く歪むことなんかない。
薄っぺらいこの人の優しさが、嫌いだ。その優しさを忘れられなくなるくらい。
「俺が藤下さんの近くにいると、また藤下さんを傷つける。それはわかってるから」
だから、お互いの日常に干渉しなかった。彼なりに私を思って行動してくれたことはあった。そうは言われても、納得はできなくて……。
「前野にデート誘われたんだって?」
「どうしてそれを……」
「本人から聞いた。行かないの、デート」
食堂での話を言い触らされているのか。
前野君には今まで強引に誘われているけど、それもまだ前向きには考えられないな。
「俺より前野の方が藤下さんにはいいと思うよ。自分を守るのも大事だけど、長い人生縛られたままじゃ損だろ。行ってきたらいいじゃん」
軽々しく言いやがってこいつ。女とデートなんて何てことないんだろう。ヤリチ〇コだからな。
私が嫌がってるのを知っているくせに……じとりと西城斎を睨むと、彼がポケットから鍵を取り出してそれを私に渡した。
「それでも……もし嫌なことがあったら、いつでも来ていいから。俺なりの贖罪ってわけじゃないけど、一人で抱えるより俺にぶつけた方がマシじゃない?」
私にその鍵を押しつけた西城斎は、この場に似合わない爽やかな笑顔を残して去っていく。
どうしてあっさりと受け取ってしまったのか、突き返すこともできたのに。
どんなに彼を冷たく非難しても、彼が私を受け入れようとするように、私は変えたいのかもしれない。縛られたままの自分を——。