【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
しかし、あまり身体を思い切り動かす機会の無かったカヤの足が、そこまで早いわけも無い。

「おいコラ!逃がさねぇぞ!」

背中側から、そんな恐ろしい声は着々と距離を詰めてきていた。


「っ、はあ……はあ……」

すぐに手足は痺れ、空気を吸うたびに肺が刺すように痛んだ。
足が言うことを聞かない。前に出るのを拒んでいる。

心臓は煩い程に鳴りっぱなしなのに、身体の疲労と共に頭がぼんやりとしてきた。

(嗚呼、もう駄目だ……)

心の中が、諦めにだけ満たされた時だった。



――――ふわ、と身体が浮いた。


一瞬後にはカヤの体は、何か強い力に引っ張られるようにして右方に引きずり込まれた。

ガサガサっ!と茂みが擦れる音がして、チクチクとした葉が肌を掠める感触。
そして静寂と、誰かの体温、甘い匂い。

「静かに」

低い声が鼓膜に直接囁いた。
ぞ、と甘い身震いに、背筋が切なく鳴いた。


カヤは見知らぬ男と共に地面に座り込んでいた。

男の右手はカヤの口元を不快感の無い程度の力で覆い、その左手はカヤの身体をしっかりと抱きとめるように巻き付けている。

どうやら、この男によって茂みの中に引きずり込まれたらしかった。


「このままやり過ごすぞ」

男が小声で言った。

横向きで抱かれているため、おのずとカヤの右耳は男の心臓の真上に押し当てられていた。

どくん、どくん。
男の鼓動は僅かに早かった。

どく、どく、どく。
しかしそれを追い越す程に、カヤの心臓はけたたましく鳴り響いていた。

柔らかな手の皮膚が唇に当たるから、息を吐く事すら躊躇してしまう。
先ほどから甘い匂いが鼻をついて、どうしようも無く、くらくらした。


「……っくそ、見失った!」

「探せ!まだ遠くまでは行ってないはずだ!」

カヤ達を隠すように立っている茂みのほんの向こう側を、あの3人組が悪態を付きながら駆け抜けていく。

葉の隙間から、それを眼で追いながら、頼むそのまま地の果てまで行ってくれと、必死に祈った。

願いが通じたのか、やがて3人組の足音は徐々に遠ざかり、完全に聞こえなくなった。


「……行ったな」

「っ、ぷは!」

口を塞いでいた手のひらが退き、カヤは無意識に止めていた呼吸を思い切り吐き出した。

「悪かったな、いきなり引きずり込んで」

同時に、カヤの身体に巻き付いていた手も退いていく。

男は、カヤと同じように頭からすっぽりと布を被っていた。
月明かりの下なうえ、その布のおかげで顔はよく見えない。

ただ、僅かに見える口元は、珍しい事に褐色の肌をしていた。

「あ……」

じりじりと尻を滑らせながら後ずさる。
何が何だか分からず動揺していたカヤは、男の言葉に返事する事が出来なかった。

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