【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
やっぱり優しい人。
全部分かっている。どれだけ厳しい言葉を吐いたとしても、貴方の優しさは少しも損なわれない。
――――そしてその優しさに救われるのが、カヤだけであってはならない事も。
「でも、やっぱり翠の近くには居られない」
うなじを往復していた翠の指が、はたと止まり、触れている身体が僅かに強張ったのを感じた。
「なぜ?」と翠は静かに問う。
「翠、私の事を大事だって言ってくれたよね。凄い熱だったから覚えてないかもしれないけど……」
その強張りを解こうと、翠の背中を優しく撫でる。何度も、何度も。
「すごく嬉しかった」
微笑みながら呟き、それからカヤは翠の腕の中から抜け出した。
一瞬だけ抗った翠の腕だったが、カヤが身体を押すと、名残惜し気に離れて行く。
「私もね、翠が大事なの」
そう言って、包帯が巻かれている翠の右手をそっと取った。
「とっても大事だよ……だから、私と居るせいで翠が危ない目に合うのは嫌だ」
完璧なほどに滑らかだった皮膚に、深い傷が残るだろう。
まるでカヤの大罪だ。
隣国で自ら毒を呑んだ時も、そして今回の事も、奇跡的に翠の命を奪うまでの事態にはならなかった。
けれど、それでは済まなくなる日が来るだろう。
"翠様も、いつか必ず不幸になる"
膳の予言がそう耳元で囁く。
カヤが傍らに居れば、きっとこの人は、ぽっかり口を広げて待っている最悪な結末に自ら堕ちていく。
「貴方は、修羅の道になんて行ってはいけない」
その慈愛に満ちた優しさを絶えさせたりなど、させない。
溢れんばかりの敬意を込めて、美しい指先に口づけを落とした。
唇に包帯の感触、そして皮膚から立ち上る甘い香り。翠の香り。
胸が、ぎゅっと苦しくなる。
「だからどうかお暇をくださいませんか――――翠様」
揺らぐ事なく言い切ろうとしたが、それでもやはり最後は震えた。
カヤは、触れていた翠の指から唇を引き剥がした。
見上げると、翠の双眸はゆらゆらと煌めいていた。
怒っているようにも、哀しがっているようにも、混乱しているようにも見える。
「……覚えてるよ。言った事、ちゃんと覚えてる」
やがて翠がそう言った。
ひたり。翠の左手が右頬を包む。
空気はこんなに蒸し暑いと言うのに、なんと涼しくて気持ちの良い掌なのか。
「俺もカヤが大事だ」
「うん」
「カヤ自身と同じくらい、カヤの望みも大事だ」
「うん」
「……だから任を解くよ」
「うん」
「これからは、この国の民として俺の夢が叶うのを見ててくれ」
「……はい、翠様」
笑って頷いた瞬間、じわりと目の前が滲んだ。
あっと言う間に全てがぼやけて、翠がどんな表情をしているのか見えなくなってしまった。
「ありがとう」と言った気がする。
「ごめんなさい」と言った気もする。
安堵感と切なさで、ぐちゃぐちゃの頭の中、翠の指がカヤの前髪を優しく掻き分けたのが分かった。
「どうか健やかに、カヤ」
額に壊れそうな口付けを一つ落として。
きっと微笑んでいたであろう翠が見えなかった事だけが、唯一の心残りだった。
―――――カヤが翠様のお世話役を降りたと言う話は、次の日には瞬く間に屋敷中に広まった。
全部分かっている。どれだけ厳しい言葉を吐いたとしても、貴方の優しさは少しも損なわれない。
――――そしてその優しさに救われるのが、カヤだけであってはならない事も。
「でも、やっぱり翠の近くには居られない」
うなじを往復していた翠の指が、はたと止まり、触れている身体が僅かに強張ったのを感じた。
「なぜ?」と翠は静かに問う。
「翠、私の事を大事だって言ってくれたよね。凄い熱だったから覚えてないかもしれないけど……」
その強張りを解こうと、翠の背中を優しく撫でる。何度も、何度も。
「すごく嬉しかった」
微笑みながら呟き、それからカヤは翠の腕の中から抜け出した。
一瞬だけ抗った翠の腕だったが、カヤが身体を押すと、名残惜し気に離れて行く。
「私もね、翠が大事なの」
そう言って、包帯が巻かれている翠の右手をそっと取った。
「とっても大事だよ……だから、私と居るせいで翠が危ない目に合うのは嫌だ」
完璧なほどに滑らかだった皮膚に、深い傷が残るだろう。
まるでカヤの大罪だ。
隣国で自ら毒を呑んだ時も、そして今回の事も、奇跡的に翠の命を奪うまでの事態にはならなかった。
けれど、それでは済まなくなる日が来るだろう。
"翠様も、いつか必ず不幸になる"
膳の予言がそう耳元で囁く。
カヤが傍らに居れば、きっとこの人は、ぽっかり口を広げて待っている最悪な結末に自ら堕ちていく。
「貴方は、修羅の道になんて行ってはいけない」
その慈愛に満ちた優しさを絶えさせたりなど、させない。
溢れんばかりの敬意を込めて、美しい指先に口づけを落とした。
唇に包帯の感触、そして皮膚から立ち上る甘い香り。翠の香り。
胸が、ぎゅっと苦しくなる。
「だからどうかお暇をくださいませんか――――翠様」
揺らぐ事なく言い切ろうとしたが、それでもやはり最後は震えた。
カヤは、触れていた翠の指から唇を引き剥がした。
見上げると、翠の双眸はゆらゆらと煌めいていた。
怒っているようにも、哀しがっているようにも、混乱しているようにも見える。
「……覚えてるよ。言った事、ちゃんと覚えてる」
やがて翠がそう言った。
ひたり。翠の左手が右頬を包む。
空気はこんなに蒸し暑いと言うのに、なんと涼しくて気持ちの良い掌なのか。
「俺もカヤが大事だ」
「うん」
「カヤ自身と同じくらい、カヤの望みも大事だ」
「うん」
「……だから任を解くよ」
「うん」
「これからは、この国の民として俺の夢が叶うのを見ててくれ」
「……はい、翠様」
笑って頷いた瞬間、じわりと目の前が滲んだ。
あっと言う間に全てがぼやけて、翠がどんな表情をしているのか見えなくなってしまった。
「ありがとう」と言った気がする。
「ごめんなさい」と言った気もする。
安堵感と切なさで、ぐちゃぐちゃの頭の中、翠の指がカヤの前髪を優しく掻き分けたのが分かった。
「どうか健やかに、カヤ」
額に壊れそうな口付けを一つ落として。
きっと微笑んでいたであろう翠が見えなかった事だけが、唯一の心残りだった。
―――――カヤが翠様のお世話役を降りたと言う話は、次の日には瞬く間に屋敷中に広まった。