【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
狼狽えるばかりのカヤに、翠はゆっくりと顔を近づけて来る。

月の光しか無かったあの夜とは違う。

太陽に照らされて、翠の双眸に映る自分の姿さえ見えてしまいそうな程、明るい部屋。

焦りまくっている自分の顔が、一体どれほどはっきりと見える事か。


「す、す、す、翠っ……」

「少しだけ」

少しだけって、どれだけですか。

そんな疑問を唱える間も無く、顎を柔く引き寄せられた―――――途端に、ドス、ドス、と地響きのような足音が響いてきた。



「翠様!おはようございます!……おお、カヤでは無いか!今日からいよいよ復帰だな!」

威勢の良い挨拶と共に部屋に入ってきたタケルは、そう言ってカヤに活力みなぎる笑顔を向けた。

「お、おはようございます、タケル様」

勤めて普通の声色を装いながら、カヤもまた挨拶を返す。

間一髪だった。

翠とカヤは、聞きなれた足音が聞こえた瞬間に、光の速さで距離を置いていた。


「む?顔が赤いな?体調が悪いのか?」

「いえいえいえいえ全く!す、少し熱いですねえ、この部屋……」

パタパタと誤魔化す様に衣を仰ぐと、タケルは不思議そうな表情をした。

「そうか?私は少し肌寒いくらいだがな……ああ、そう言えば翠様。例の間者の事でご報告が……って、どうかされましたか?」

その怪訝そうな声に、カヤも翠を見やる。

やけに無表情だった翠は、一瞬で微笑を浮かべると優雅に首を傾げた。

「何がだ?」

但し、その声色は普段よりも僅かに低い。
カヤでも分かるそれを、タケルが気が付かないはずが無かった。

「……何か怒ってらっしゃいますか?」

「怒ってなどいない」

「…………」

「怒っていないと言っているだろう」

完璧な笑みを一切崩さないまま、翠はしつこくそう言った。

なんとなくその笑顔の意味を分かっているカヤでさえ、少し怖かった。

しかしそこは、さすがはタケルだ。

触らぬ神に祟りなしと判断したのか、それ以上は何も突っ込む事なくその場を流した。

「それで、報告でございますが」

「ああ」

「数日前の間者ですが、行方を追っている兵の話によれば、国境の山に姿を隠したのでは無いかという事です。現在辺りを捜索中でございます」

そんな報告を、カヤは気まずい思いで聴いていた。


――――あの女性の捜索は、カヤが予想していたよりもずっと厳しく行われていた。

後から聞いた話しによると、実はあの女性は、屋敷の随分奥深くまで忍び込んでいたらしい。

下手すれば翠の私室にまで辿り着きそうな勢いだったとか。

翠の命を奪う者ではないか、とタケルは相当心配している様子だ。

そのため、異例とも言える捜査網を敷いたらしかった。


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