【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「……とりあえず、渡しちゃったものは仕方ないから」
そう言いながら、カヤはミナトの衣を離す。
力を込め過ぎていた指が、じんじんと熱を帯びていた。
「文句なら翠様とやらに言ってよ。あの人が膳みたいなのを野放しにしてるから、この人みたいな生活に困る人が出てくるんだよ」
娘が病気になったからって人を襲おうとしたこの人も悪いし、この人に土地を満足に与えない膳も悪い。
そしてそれを知ろうともしない翠様が一番悪い、とカヤは思った。
「……翠様は何も悪くねえ」
ようやくミナトが口を開いた。
その声色は、先ほどの理不尽な冷たさが少しだけ薄まっているような気がした。
しかし、相変わらずの刺々しさは感じる。
「翠様は事実を知らないだけだ。知れば、何か対策をされるお方だ」
ミナトがきっぱりと言った。
しかしカヤは、ふんっと鼻を鳴らす。
「知ろうともしてないじゃん」
「あのなあ、翠様はお忙しいんだ!」
「……忙しさを理由にすれば何でも許されるなんて、神官様のお役目は楽なんだね」
「ってめえ!」
おっと。
これ以上言うと今度は自分がミナトに胸倉を掴まれる。
悟ったカヤは口を閉じ、ミナトから距離を取った。
「ミ、ミナト様。この娘も納得している事ですし、そろそろ放してもらえませんかねえ……?」
ミナトに首根っこを引っ掴まえられている男が、おずおずと言った。
その口調に違和感を感じた。
明らかにミナトの方が年下なのに、まるで目上のような物言いだ。
ふと目線を下ろすと、ミナトの左腰に剣が差さっている事に気が付いた。
「お前が言う事か、それは?」
ミナトが、じろりと男を睨む。
その眼光の鋭さに、男が「ひっ」と息を呑んだ。
「……分かった、もう行け。この娘に二度と関わるな」
低い声でそう言って、ミナトがようやく男の首を放した。
と同時に、男はよろめくようにして一目散に逃げて行った。
忌々しそうに男を見つめていたミナトが、やがてカヤに向き直る。
次はどんな悪態が飛んでくるのか。
思わず身構えるが、意外にもミナトは、もうカヤを睨んではこなかった。
それどころか、視線を逸らしたまま参ったようにガシガシと頭を掻く。
「……んだよ。お前、感情あるじゃねえか」
日に焼けた唇が、気の抜けたようにぽつりと呟いた。
なんの話だ?
カヤが眉根をしかめると、切れ長のすっきりとしたその眼が、こちらを向いた。
ぱちりと眼が合った瞬間、その瞳の眼光が僅かに薄らいだ気がした。
先ほどまで吊り上がっていた眼尻も、少し下がっている。
「髪飾り、多分もう戻って来ねえぞ。良いのか」
酷くぶっきら棒な口調だった。
しかしそれは、カヤが今までミナトに向けられた中で、一番敵意の無いものだった。
(……驚いた)
目の前の男がカヤの事を配慮していたのだ。
感情に敏感では無い自分でさえ、それを感じ取れてしまうほどに。
髪飾りの事は、正直言えば悔しい。
もしもあの時に戻ったら、同じ事をするかと言われると怪しい所ではあった。
それでも、必死に押し込めていた後悔が、思い切り怒鳴った事で緩和されていたのも事実だった。
髪に差すわけでもあるまいし、あれ以上自分で髪飾を持っていたって意味は無い事は分かっていた。
お金に成り代わって、名前も顔も知らないどこかの女の子が救われたなら、そちらの方がきっと意味がある。
そうやって多少自分に言い聞かせはしているものの、カヤの心情は自分でも驚く程度には、すっきりとしていた。
だからだろう。
ミナトからの敵意が僅かばかりに和らぎ、そして思いがけず心が晴れているからだ。
「良いよ。あれは、あげたの」
――――うっかり、口角を上げてしまったのは。
そう言いながら、カヤはミナトの衣を離す。
力を込め過ぎていた指が、じんじんと熱を帯びていた。
「文句なら翠様とやらに言ってよ。あの人が膳みたいなのを野放しにしてるから、この人みたいな生活に困る人が出てくるんだよ」
娘が病気になったからって人を襲おうとしたこの人も悪いし、この人に土地を満足に与えない膳も悪い。
そしてそれを知ろうともしない翠様が一番悪い、とカヤは思った。
「……翠様は何も悪くねえ」
ようやくミナトが口を開いた。
その声色は、先ほどの理不尽な冷たさが少しだけ薄まっているような気がした。
しかし、相変わらずの刺々しさは感じる。
「翠様は事実を知らないだけだ。知れば、何か対策をされるお方だ」
ミナトがきっぱりと言った。
しかしカヤは、ふんっと鼻を鳴らす。
「知ろうともしてないじゃん」
「あのなあ、翠様はお忙しいんだ!」
「……忙しさを理由にすれば何でも許されるなんて、神官様のお役目は楽なんだね」
「ってめえ!」
おっと。
これ以上言うと今度は自分がミナトに胸倉を掴まれる。
悟ったカヤは口を閉じ、ミナトから距離を取った。
「ミ、ミナト様。この娘も納得している事ですし、そろそろ放してもらえませんかねえ……?」
ミナトに首根っこを引っ掴まえられている男が、おずおずと言った。
その口調に違和感を感じた。
明らかにミナトの方が年下なのに、まるで目上のような物言いだ。
ふと目線を下ろすと、ミナトの左腰に剣が差さっている事に気が付いた。
「お前が言う事か、それは?」
ミナトが、じろりと男を睨む。
その眼光の鋭さに、男が「ひっ」と息を呑んだ。
「……分かった、もう行け。この娘に二度と関わるな」
低い声でそう言って、ミナトがようやく男の首を放した。
と同時に、男はよろめくようにして一目散に逃げて行った。
忌々しそうに男を見つめていたミナトが、やがてカヤに向き直る。
次はどんな悪態が飛んでくるのか。
思わず身構えるが、意外にもミナトは、もうカヤを睨んではこなかった。
それどころか、視線を逸らしたまま参ったようにガシガシと頭を掻く。
「……んだよ。お前、感情あるじゃねえか」
日に焼けた唇が、気の抜けたようにぽつりと呟いた。
なんの話だ?
カヤが眉根をしかめると、切れ長のすっきりとしたその眼が、こちらを向いた。
ぱちりと眼が合った瞬間、その瞳の眼光が僅かに薄らいだ気がした。
先ほどまで吊り上がっていた眼尻も、少し下がっている。
「髪飾り、多分もう戻って来ねえぞ。良いのか」
酷くぶっきら棒な口調だった。
しかしそれは、カヤが今までミナトに向けられた中で、一番敵意の無いものだった。
(……驚いた)
目の前の男がカヤの事を配慮していたのだ。
感情に敏感では無い自分でさえ、それを感じ取れてしまうほどに。
髪飾りの事は、正直言えば悔しい。
もしもあの時に戻ったら、同じ事をするかと言われると怪しい所ではあった。
それでも、必死に押し込めていた後悔が、思い切り怒鳴った事で緩和されていたのも事実だった。
髪に差すわけでもあるまいし、あれ以上自分で髪飾を持っていたって意味は無い事は分かっていた。
お金に成り代わって、名前も顔も知らないどこかの女の子が救われたなら、そちらの方がきっと意味がある。
そうやって多少自分に言い聞かせはしているものの、カヤの心情は自分でも驚く程度には、すっきりとしていた。
だからだろう。
ミナトからの敵意が僅かばかりに和らぎ、そして思いがけず心が晴れているからだ。
「良いよ。あれは、あげたの」
――――うっかり、口角を上げてしまったのは。