【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
ミナトの涼し気な眼が、こちらを見据えていた。

ぐにゃ、り。
それが形を崩し、歪んでいく。

溶けてドロドロになった後、それはやがて、また別の眼へと変貌を遂げた。


(ああ、この眼)

気が付けば蛇のような瞳孔に見つめられていた。

背筋を凍らせる、ハヤセミの眼。
嫌いだ。この眼は、嫌い。


はっきりとそう思った瞬間、わっ、と炎が燃え上がった。


火炎は大量の油を放ったかのように広がって、灼熱のまま心臓を焼き尽くす。

(違うはずなのに)

頭の片隅で自分に言い聞かせる。目の前の人はハヤセミじゃない。ミナトだ。

それなのに、嗚呼、どうしても眼が。
その眼が、あの男の、それに見えて仕方が無いのだ。


眼球の裏で燃え盛っていた炎は、やがてカヤの視界を覆い、目の前を真っ赤に染め上げて行く。


「……あ、」

轟々とうねる火炎の中に、ハヤセミが悠然と立っていた。

手を伸ばせば届く距離に、確実に殺せる距離に、確かに。



『――――兄様っ、兄様……どうかお止め下さい……』

泣き声がする。ミズノエの、命を乞う声が。


『逆乱の芽は摘ませてもらう。悪く思うなよ』

飄々とした、平坦な声。終わりの声。絶望の声。


――――再び、あの日が廻り出していた。


砦で翠に過去を打ち明けた時など、比ではない。

鮮明に、しっかりと、目の前で現実が流れているように、悲劇が、また、私を、奈落に。



『兄様ぁああああ……!』

ぶちり、と途切れた幼き悲鳴。
華奢な腹を貫いた刃。

突き出たそれは、ぬらぬらと残酷な色に染まっていた。赤い。


『ミ、ズ、ノ……エ……?』

ハヤセミは嗤っていた。
切って貼ったような、ぞっとする顔で、嗤っていた。


そうして赤を踏み越えて去って行って、カヤは、独り。赤の中で、ただ呆然と。


『ぅ、あっ、』

ひくっ、と喉が鳴いた。溢れ出す、汚濁した慟哭。


『うやぁあぁああああぁぁあっ……!』

ひたすらに泣き叫んだ。

叫んで叫んで、どこまでも叫んで、声が枯れて、血の痰を吐いて、それでも尚、ずっと。

ぐらぐらと世界が揺れる。
何もかもが霞んで、己を見失っていく。

『って……や、る……』

床に項垂れたまま、ミズノエの腹から剣をゆっくりと引き抜いた。


ずる、り。

柔らかな肉を押し広げて、込み上げる吐き気を抑えて、そして抜き切った刃を、弱く小さな掌で、ぎゅっと握って。


『……ころ、してやるっ……!』


――――嗚呼、はっきりと思い出した。

あの時カヤは、狂おしいほどに誰かの死を願っていた。



次の瞬間、赤を踏み越えて走り出していた。


(殺してやる、殺してやる、絶対に殺してやる)

それだけに支配された頭のまま、走って走って、刀を握りこんで。


『ハヤセミッ……!』

振り返ったハヤセミに向かって、切っ先を突き立てた。
全身の力を込めて、激情を乗せて、悲憤に狂いながら。



ぐつり、と柔らかな肉を貫く感触。ぞっとした。




「っ、が、はっ……」

ほんの耳元で、息が押し出された音がした。


ぐらりと揺らいだ誰かの身体が圧し掛かってくる。

(……重い)

不快に思った瞬間―――――さあっ、と目の前が爽やかに澄み渡った。


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