【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「翠……?」

間近で大声を出された事に驚き、思わず言葉を失う。

同時にせっかく浮かべていた笑顔が溶け消えてしまった。


とても近くで、翠と眼が合っていた。

辛そうに歪められた眼が、まるでカヤを憐れんでいるみたいに見えて、静かにその瞼を隠したくなる。


「そうじゃない……なあ、分かるだろ、カヤ……?」

翠の唇が揺れる音を吐いて、そうして肩を掴んでいた指は滑るように背中に回っていく。

甘い香りが鼻をくすぐった。
一瞬後には翠に抱き締められていた。

「お願いだから、無理して笑うのは止めてくれ。カヤのそんな顔は見たくない」

優しい腕だった。
優しい声だった。

抱き締めてくれる力がそっと強まって、身体がぴたりと触れ合って、その部分に翠の体温を感じた。

後頭部を慈しむように撫でてくれる指も、もう全てが心地良い、のに。


(……寒いなあ)

移り込んでくる翠の体温を、何かがことごとく打ち消していく。

投げ出されたままの両腕は動かない。動けない。動かさない。


(笑うな、なんて)

ねえ、翠。分かるでしょう。
私はその優しさを、受け取りたくは無いのだ。




「―――――嘆けば何か解決するの」

翠に向かって言ったとは思えないほど、冷ややかな声色だった。

抱き締めてくれていた腕が強張ったのを、確かに感じた。

カヤは、翠と自分との間に腕を割り込ませ、その身体をゆるりと引き剥がした。

思ったよりも呆気なく翠は離れていく。

と言うよりも表情を見る限り、驚きのあまり抵抗を忘れてしまったと言った方が近いのかもしれない。


―――――大丈夫だ。嫌だけど、もう嫌だけど、大丈夫。まだ、もう少しは。


ぐっ、と何かを堪えるように唇を噛み、それからカヤは口角をこれでもかと言うほどに吊り上げた。

「あのね、翠。私は私の意志で行動でしてるの。それを無視して暴こうとするのは、いくら翠でも遠慮してほしいなあ」

そう無邪気に笑えば、翠が言葉を失ったかのように黙り込んだ。

しん、とした静寂が二人の間を支配する。

帰ってほしい、とぼんやり思った。
もう翠に帰って欲しかった。一緒に居たくなかった。



「明日も早いし、そろそろ帰った方が良いんじゃないかな。ね?」

だから軽い調子でそう口にした。

翠は無表情にこちらを見つめていて、片やカヤは揺るぎのない微笑みを返す。

じりじりとした睨めっこが続き、やがて先に目を逸らしたのは翠だった。

「分かった」と小さく呟いた翠は、立ち上がり足早に入口へと向かう。
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