【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「……おやすみ、カヤ」

ぞっとするような声。
それに気づかない振りをして、カヤは明るく手を振った。

「うん、おやすみ。また明日ね」

伏せられた眼は、こちらを二度と見ようとしなかった。

夜闇に翠の姿が溶けて行って、その足音が聞こえなくなった頃、カヤはようやく安堵の息を付く。


翠がすぐに去って行ってくれて良かった、と心底思った。

そうじゃなければ今頃――――きっと望みどおり、翠の全てを喰らっていたに違いなかった。













―――――さすがに言い過ぎた。

翌日眼が覚めたカヤは、昨夜の事を早々と後悔していた。

危険を冒してまで家に来てくれた翠を締め出すような真似をするなんて、あまりに愚かすぎる。

(……それに、あんな事を言うべきじゃなかった)

拒絶するような物言いをしなくても、もっと他に言いようがあっただろうに。


そう悔やんだカヤは、会ったら一番に『昨日は言いすぎてごめんなさい』と謝ろうと心に決めた。


「おはよう、カヤ。今朝は冷えるな」

の、だか、顔を合わせた翠があまりにも普通すぎたため、出鼻をくじかれた。


「あ、うん……おはよう、ございます」

少し早めに部屋に来たと言うのに、翠は既に机に向かっていた。

寝起きを感じさせない顔を見るに、随分前から起きていたか、もしくは寝ていないのかもしれない。


(というか怒ってない……?)

昨夜の出来事なんて一切感じさせない翠に、カヤは謝罪する機会を逃してしまった。

窺うように翠を見つめていると、彼は筆を走らせながら口を開いた。

「カヤ。せっかく来てもらって悪いんだけど、また今日も休んでくれないか。あと明日と明後日も」

「……え?」

何かの聞き間違いかと思い戸惑いの声を漏らすが、翠はこちらを一切見ずに続ける。

「伊万里が来るんだ」

ずしん、と胃が重たく下がった。


「あー……そうなの?結局、世話役に決まったの?」

「決まっては無い。働きぶりを見てもないのに断るのは失礼だから、ひとまず三日間、伊万里には世話役の任に試しに就いてもらうことにした」


――――それは、結果が良ければ伊万里を世話役にすると言う事?

そんな言葉が危うく出かけた。


(やめろ、また余計な事を言う気か)

ぐっ、と呑みこんで、努めて明るく言った。

「それもそうだよね。分かったよ。それじゃ三日間お休みを貰います」

「うん」

翠に向かって頭を下げ、カヤはすぐに立ち上がり踵を返して出口へ向かった。

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