【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
戦を避けたい、という考え自体には賛同出来るものの、根本的な理由はカヤとは全く異なっている、と思わざるを得なかった。

ハヤセミの物言いは、体制が整っていれば、戦は厭わないと言っているようなものだった。


戦なんて、避けれるならば避けるに越したことは無い。

国を治める神官として翠は常々そう考えていたし、それを知っているカヤだって同じ考えだ。

けれど、ハヤセミは違うのだ。

翠と同じ意志を持って『戦を避けたい』などと言っているのではない。

もっと利己的で、もっと独善的で、もっと無慈悲な理由。


―――――こいつは、ただの損得でしか命を推し量っていない。



激しい怒りが湧き、カヤは勢い良く立ち上がった。

「そ、んな事をっ……」

言う訳が無い、と叫ぼうとした時だった。


ぐら、り。
酷い眩暈がして、目の前に嘲笑っていたハヤセミの顔がぐにゃっと歪んだ。


(――――あ)

足元の地面がたゆんで、もう立っていられなくなる。

ふ、と頭の中が真っ白になって、身体が地面に引き寄せられた。


「琥珀!」

「カヤ!」

ミナトと律の声が同時に聞こえ、あわや固い床に叩きつけられると言う直前に、しっかりとした腕に支えられた。

その腕が一体どちらかのものなのか。

それを確かめる事すら出来ず、カヤはただただぐったりと身体中を弛緩させる。

「おい、大丈夫か!」

「すぐに医務官を!」

「しっかりしろ、琥珀!琥珀!」

ふらつく頭をどうにか支えながら、カヤは必死にハヤセミを見上げた。


―――――憎い。
この男が紡ぐ言葉、見せる表情、爪の先、髪の毛一本すらも、全てが。


「うっ……」

不意に込み上げてきた吐き気に、カヤは再び倒れ込んだ。


(翠、翠)

その名を呼びながら、自分を支配していた憤怒が、抗いようもなく真っ白に塗り潰されていくのを感じていた。








「ふむ」

急遽部屋に呼ばれた初老の医務官は、カヤの下瞼の血色を確認し、脈を測り、触診を行い、最後に幾つかの質問をした後、こっくりと頷いた。


「ご懐妊ですな」


―――――ああ、やっぱりそうだったのか。



「は?」

真っ先にそんな声を上げたのは、ミナトだった。

その隣では律も唖然と口を開けている。無理もない反応だ。

先ほどまで医務官の診察を揃って心配そうに見つめていた二人は、今もまた全く同じような顔をしていた。


「いやいや、ちゃんと診てくれ。そんな訳あるか」

訝し気に眉を寄せるミナトに、しかし医務官は「間違いないです」ときっぱり述べる。

ミナトは一瞬黙り込むと、医務官からカヤに視線を移した。

驚きもせず、否定もせず、ただ俯いているカヤを見て、現状を悟ったらしい彼が酷く驚愕したのが伝わってきた。

「嘘だろ……だって、それなら……」

そう呟いたきり、ミナトは黙り込んでしまった。
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