【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
「それからな、私はもう一度だけハヤセミと最期の交渉をしてくる。翠様はあちらの兵が氾濫に巻き込まれる事を危惧しておられた。私は、どうにかその御意志を叶えたいと思っている」

ぼんやりとした頭の中に、タケルの言葉がやけにスルリと入り込んできた。

(……翠の、意志……)

彼はいつだって『それ』を大事にしていた。

来る日も来る日も強く思い続け、大きな困難にぶつかって立ち止まりそうになっても、それでも絶対に諦めなかった。

―――――けれど。


「……もう、翠は居ないのに……それに何か意味があるのですか……?」

あの人も、あの人の意志も、手の届かないどこか遠い所へ行ってしまった。

あの人が切り拓こうとしていた道は消え、そして彼に着いていこうと決意したカヤの道も、残酷なほど綺麗に絶たれてしまったのだ。

翠が歩かない道なら、何の意味も無い。
そんなもの要らない。歩いても、虚しいだけだなのに。



「……そなたがそのような事を言うとはな」

降ってきたタケルの声があまりにも低く、背筋がぞっとした。

気のせいかと思い、そろそろと顔を上げる。

「っ、」

気のせいでは無かった。
タケルは酷く厳しい目つきでカヤを見降ろしていた。

「辛いのは分かるぞ、カヤ。しかし、そなたなら一番にあの方の御意志を大切にすると思っていたよ……非常に残念だ」

冷ややかに付け足された言葉に、一切の声を失う。

よもやタケルにそのような事を言われるとは、露ほども思っていなかったのだ。

「タ、ケル……様……」

深い夜の色をした双眸が、静かな怒りを纏ってカヤを見据える。

翠と同じ色の瞳―――――まるで、翠にそんな風に見られているようで、得も言えぬ絶望感が胸に広がった。



「ナツナ、弥依彦殿。今のカヤに構う必要は無い。一人にした方が良いだろう」

立ち尽くすカヤを尻目に、タケルは二人にそう声を掛け、静かに天幕を出ていた。

弥依彦とナツナは気遣わし気にカヤを見たが、やがてタケルに続き、無言で天幕を後にした。


しん、と静まり返る冷たい天幕の中、カヤはガクンとその場に崩れ落ちた。

「……っ、翠……」

ぱた、ぱた―――――地面に舞った涙が、虚しく模様を描く。

「う、あ……翠っ、翠……!」

溢れ出る嗚咽が、どうしても止まらなかった。

「っだって、」

だって、分からないのだ。

進めべき方向も、目指すべき場所も、何一つだって分からないのだ。

翠の居ない世界で、ずっと呼吸していく方法だってあやふやなのに、どうやって歩いていけと言うのだ。

< 583 / 637 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop