偶然でも運命でもない
17.月冴ゆる焼肉の夜
会計を済ませて外に出ると、冷たい風が心地良かった。
「一駅だけ歩こうか。」
そう言って歩き出した響子の足取りは、いつもどおりで。
だけど、その声は、いつもよりもずっとはしゃいでいて。
俺が大人だったら、この人はもっとちゃんと向き合ってくれるのだろうか?と、考える。
いや、違うな。今でも、ちゃんと向き合ってくれている。まるで大人の友達と過ごすように。
そうでなかったらきっと、高校生相手に、焼肉屋で自分だけ酒を飲むような夕飯を選ばないだろう。
駅前の商店街の外れ。
向かいの塾からたくさんの学生が出てくる。
「そういえばさ、大河くんは、塾とか行かないの?」
「行かない。俺、居候の身だし。勉強は自分ですればいいし。みんなで揃って勉強するみたいなのは学校だけでいいかな。」
「そっか。いいね。そういうの。」
「そう?」
「自分ですればいい、って言うのがいい。出来ても、出来なくても、全部、自己責任。いい。」
響子の言い方は、さっぱりしていて気持ちがいい。
彼女は周りの大人たちと少し違う。
俺の言葉をまっすぐに聞いてくれて、まっすぐに自分の意見を返してくれる。
それは、世間体とか社会人だからとか学生だからとか関係なく対等な感じがする。
じゃあ、相手にされていないのは俺が高校生だからじゃないのかな……響子の気持ちは、よくわからない。
ただ、一緒にいるのは楽しくて、その横顔は愛しくて。隣にいるのに、その距離はこれ以上近くなることがない。
触れることが出来る距離でも、手を伸ばすことは、きっと許されない。
「全部、自己責任。」
大河は歩きながら空を見上げる。
晴れた空に月が浮かんでいた。
そこだけ穴のあいたカーテンのように、黒い空から差し込む青く丸い月の光。
「勉強したいことがあるから進学するはずなのに。進学が目的でする勉強はつまんないよね。」
そう言って、響子も空を見上げた。
「あ。お月さま、丸い!」
嬉しそうな声を上げて立ち止まって、それから小さな声で「綺麗ね…」と呟いて。
「もし、私が今、高校生だったら。大河くんとこうして一緒に過ごすことはないだろうな。」
寂しそうなその声に振り返ると、響子はまだ月を見上げていた。
「じゃあ、響子さんが大人で良かった。」
大河はそう言って笑う。
高校生の響子さんはきっと可愛かっただろう。同い年の女子。だけど、接点は無いだろうと思う。もしかして、その頃の響子さんはやりたいこととは別の、ただ進学をする為だけの勉強をしていたのだろうか?
彼女は、いつからこんな風に笑うようになったのだろう。どんな出来事が彼女に自由を自覚させたのだろう。
響子は楽しいことをたくさん抱えて、人生は自由だと教えてくれる。
この人と出会えて良かった。
二人の間のほんの少しの距離、駆け寄ると、響子は大河の手を引いて歩きだす。
繋がれた手に戸惑いながら、大河はその指を絡めるように握りなおした。
あとは、ただ無言で。
いつも響子が降りる駅の改札まで、ずっと手を繋いで歩いていた。
改札を抜ける大河に、響子は小さく手を振って微笑む。
手を振り返すと互いに背を向けて歩き出す。
アナウンスが聞こえて、大河はホームへの階段を駆け下りた。
手のひらに響子の指先の感触が残る。
温かく細い指。
電車の2両目、前のドアに滑りこんで細い壁に肩を預ける。
目を閉じると瞼の裏で、月を見上げる響子の横顔が静かに笑っていた。
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