偶然でも運命でもない
20.スキ・キライ
「いくら響子さんの言う事でも、それは譲れないです。」
珍しく大河は、不機嫌を露わにしてそう言った。
そのまま、響子の方に視線を向けることもなく、じっと向かいのホームを見つめる。
取り付く島もなし。
まさに、こんな時の為の言葉だろう、と思う。

きっかけは、響子の放った一言だった。
「伊達巻って、なんで御節に入ってるんだろうね?」
御節料理に入っている、あの、伊達巻。
響子はアレが苦手だった。
卵焼きは、温かい出汁巻き以外は甘いものが好みだ。勿論、お弁当の卵焼きも甘くするし、寿司屋で食べる厚焼き玉子も大好きだ。
けれど、あの伊達巻の甘さだけは、受け付けないと思う。
一方の大河は、御節料理の中では伊達巻が一番好きだと言う。
なのに、卵焼きは甘くないものが好みだと。冷めたお弁当でもそれは同じで、甘い卵焼きは受け付けないと、彼は言った。
「だって、伊達巻と卵焼きって、全然違う食べ物じゃないですか……。」
「そう?甘ーくした卵焼きと伊達巻って、殆ど同じじゃない?」
「殆ど同じなら食べられるでしょ。伊達巻と卵焼きは違います。……響子さんは、たい焼きと大判焼きが同じ食べ物だと思うんですか?」
「うん。甘くした小麦粉の生地に、餡子。形が違うだけで、殆ど一緒だと思う。」
「じゃあ、広島のお好み焼きと大阪のお好み焼きは?」
「どっちも一緒でしょ。粉とキャベツと玉子とソース。」
響子の発言に、大河は頭を抱える。
「それ、怒られますよ。関西人と広島の人、両方に怒られますよ。」
「私は、今、なんだかわからないけど、大河くんに怒られてる。知らない関西人でも広島の人にでもなく。」
一体、何が大河のカンに触ってしまったのかわからないけれど。
それらは似て非なるもので、そこには大きな溝があると、きっと大河は言いたいのだろう。
「とにかく、甘い卵焼きと伊達巻は違う食べ物です。俺は、甘い卵焼きは認めませんし、御節料理に伊達巻は必須です。いくら響子さんの言う事でも、それは譲れないです。」
そう言って黙ったまま、じっとホームを見つめる大河の横顔を眺める。
覚えておこう、そう思って目を閉じる。
いつか、何かの弾みで大河に弁当を作る事になった時には、甘い卵焼きは入れないようにしよう。そんな日が来るとは思えないけれど。
電車に乗り込んでも、大河は黙ったままだった。
黙ったまま、響子の隣に並んで、吊り広告を眺めている。
「あ。そうだ。」
響子は、吊革を掴む大河の袖を引っ張った。
流石に無視はしないようで、彼は不機嫌な顔のままこちらを見下ろす。
「何?」
「あのね、思ったんだけど。一緒に御節料理を食べることがあったら、私の分も伊達巻食べてよ。これから、お弁当の甘い卵焼きは私が引き受けるから。」
名案でしょ?そう言って響子は窓の外に視線を移す。
一緒にお弁当を食べることも、一緒に御節料理を食べることも、きっとない。それでも、それは互いに気分良く過ごす為には良い案ではないかと思う。
そんなことで大河の機嫌が直るとも思えないけど。
「うん……。」
窓の外を見る響子の後頭部に、大河の声が落ちる。
「そっか。得意な方をなんとかすればいいんだ。」
呟くように。こぼしたその言葉は酷く寂しそうだった。
相手の苦手にばかり目が行って、自分の思い通りにしようなんて、そんなの無理な話だ。一人で克服出来ない苦手は、誰かに助けてもらえばいい。相手の為に自分が出来ることだって、きっとたくさんある。
「そうだよ。お互いに得意なことをして、苦手はカバーし合えばいいんだよ。人それぞれなんだから。食文化も。色々だよ。」
「うん。」
「ごめんね。大河くんの好きなもの、私が苦手で。」
「いいよ。響子さんが嫌いなものは、俺が二人分食べるから。」
響子は振り返らずに窓に映る大河の顔をそっと見る。
大河はもう、不機嫌な顔をしていなかった。少し微笑んだ横顔。
響子は、その視線の先に映るのが自分だと気付くこともなく、ただ窓に映る横顔を駅に着くまで眺めていた。
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