偶然でも運命でもない
40.変わらないもの
ホームへの階段を降りると、すでに電車は来ていた。
慌てて手近なドアから乗ると同時に後ろでドアが閉まる。
イヤホンを耳に突っ込んで、昨晩、聞き逃した深夜ラジオのつづきを再生する。
ふと、顔を上げると、いつものドアの横に響子の姿が見えた。
こうして遠くから眺めるのって、なんだか久しぶりだと思う。
大体は改札からホームのどこかで会って一緒に電車に乗り込む。
寄り道をしたり、何か話をすることもあれば、挨拶だけでお互い言葉を交わさないこともある。
無言のその時間も、それはそれで心地よかった。
それは、家族とも学校の友人たちとも違う、独特の空気感で。
曖昧な関係だけど、俺はそれを失いたくはないと思う。
“好きなんだ。”
胸の中だけで何度も呟く。
気持ちを伝えてこの関係が壊れるのは、こわい。
だから、気付かれないように、静かに溜め息を吐いて、視線をそらす。

響子は相変わらず姿勢が良い。
いつも同じ場所で、背筋を伸ばして、ずっと窓の外を見ている。
時々、ほんのすこしだけ、スッと目を細めて微笑んで。
彼女は一体、窓の外の何を見ているんだろう?
最初はドアの横に立つ彼女の姿を、ただ美しいと思っていた。
その美しさの正体が、姿勢の良さと彼女の纏う空気だと気付いたのは少し経ってからだ。
彼女の纏う、清潔で几帳面そうな、凛とした空気。
ベージュのトレンチコートにストールを巻いて、真っ直ぐに立つその姿。
コートの下は、きっと、シンプルできちんとしたジャケットに白いブラウス。膝丈のスカート。シンプルなパンプス。
何かのお手本みたいに、隙のない彼女の着こなし。
整った眉に、短めの前髪。
長い睫毛、少しだけ光る瞼。細く引かれたアイライン。
艶のある紅をさした唇。……全体的に薄い化粧。
特に際立って美人というわけではないが、垢抜けていて笑顔が似合う。
「人は見た目で相手を8割判断するけど。それでわかるのって、結局、見た目だけだからね。でも、家族でもないならそれで充分。」
いつだったか、響子はそう言って笑っていた。
会うたびに、話すたびに、彼女は自由だと思う。
自由で、自分の世界が大切で、楽しいことをたくさん抱えて、でもきっと、その心は繊細で。
近付かなければ、わからなかったこと。
近くにいても、わからない、その気持ち。

「2割のうちの最後の1割を、全部知りたかったら、それは恋。」
彼女が小さく呟いた言葉が、ずっと頭の片隅に落ちている。
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