恋は、秘密主義につき。
一度乗り換えて、家の最寄り駅に到着した頃には7時を回っていた。
改札を出て階段を下りていくと、濃紺に染め変えられた夜空が広がって見えた。

「車で送る」

佐瀬さんが短く言い、ロータリー沿いを銀行のある方に向かって。
結局、肩にはずっと彼の手が乗ったきり。気にしている様子もないのは、日常茶飯事だから。・・・ということなんでしょうか。

そういうことは面倒がって、マメに女性を口説くタイプには見えないと思っていましたけど。何となくモヤっと。

角を曲がった立体駐車場の4階まで上がり、整列した車のうち白のスポーツワゴン車に近寄って行くと、電子音がしてロックが解除された。

「? 佐瀬さん、車を買い替えたんですか・・・??」

確かこの間は色も形もこういうのじゃありませんでしたし、どう見ても真新しいです、前のと違って。
すると、そこでようやく私の肩から手を離した彼は。髪をくしゃりと掻き上げながら、苦虫を嚙み潰した表情を浮かべ。うんざりしたような溜め息を吐く。

「・・・お嬢ちゃんに汚い空気吸わせるなって、保科から現物支給されたンだよ。車内禁煙で、破ったら現金で買い取れ、・・・だそーだ」

思い切り目を丸くして絶句した私。
兄さまに、困ったことは無かったかって訊かれてつい、煙草の臭いの話をしてしまったのを思い出す。
愛情に感謝すべきなのか、佐瀬さんに謝るべきか。思考回路が右往左往。

シャツの胸ポケットから薄型のケースとライターを取り出した彼は。口に咥えた煙草におもむろに火を点けると、長く長い紫煙をゆっくりと逃した。

「ああいうのを鬼畜っつーんだ。・・・憶えときな、お嬢ちゃん?」

禁煙、禁煙て、世知辛い世の中になったモンだよねぇ・・・。
呟いて遠い目をした佐瀬さんが、何だか可哀想だけど可笑しくなって。
堪えきれずに小さく吹き出し、肩を震わせて笑ってしまう。

「・・・なんだ? ンな顔で笑えんの」

意外そうに私を見下ろした彼が、眦を下げてふっと笑みを緩ませた。

私こそ。・・・と思ったのと同時。心臓が跳ね上がって音を立てた。気がした。
わりと整った男らしい顔付きで、どこか不敵そうだったその一瞬に。
流れた妖しげな視線に、胸が詰まった。・・・ような。

「ぼちぼち帰るとするかねぇ・・・」

私に車に乗るよう促した時にはもう。億劫そうな、いつもの佐瀬さんで。



だから気のせいだと思おうとしました。
予想していなかったものを見て、驚いただけだって。
時間が経てばきっと、元通りになるはず・・・って。

気怠い雰囲気でハンドルを握る彼をそっと窺い。窓の外に視線を逃して。



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