legal office(法律事務所)に恋の罠
「ご馳走さまでした。私と山崎の分の食事代は当方の事務所で負担いたしますのでお気遣いなく」

「いえ、和奏さんが私に貴重なお時間を割いて下さったお礼として、ここは私に支払わせて下さい」

書類にサイン後、そんなやり取りをしばらく繰り返していたが、デザートが来た後、和奏がトイレに立って座敷に戻ってくると、すでに奏が会計を済ませてしまっていた。

こんな時、女性同士のやり取りなら、お互いに"仕事"を匂わせれば平等な立場で対処できる。

しかし、男性はプライドが勝るのか、常に女性より優位に立とうとするから厄介だ。

実際は、和奏は公務員ではないので接待を受けたからといって法的に咎められることはないのだか、仕事で便宜をはかるために接待費を使われたと思われるのは心外だ。

「ご自宅まで送らせて頂きますよ」

「いえ、お食事をご馳走して頂いた上に送迎までして頂いては、仕事に私情をはさんでいるようで心苦しいので結構です」

「私情を挟んでいますよ。こんなにいろんな表情を見せる和奏さんと一緒にいられて光栄だ」

アイアンフェイスと名高い和奏は、男性のいる場面ではほぼお酒は口にしない。

和奏はお酒が弱いわけではないが、飲むと少し気が大きくなるらしく、大学生の頃はその事で後悔したこともあったからだ。

明日は土曜日で、引き受けていた相談や訴訟もほぼ一段落したため、少しぐらい飲もうかと考えたのが間違いだった。

「そうですか・・・。そのように言われて、私はあまり気分が良くはありませんが、お酒を飲んだのは自己責任ですから、今晩は大人しく送られて帰ります」

和奏の叔母である女将は、今日は庄太郎と出掛ける用事があり休みだったため、タクシーまでの見送りはない。

料亭の外に出ると、ほろ酔い加減の和奏が、段差に爪づいて倒れそうになった。

「あっ・・・」

とっさに腕をつかんだ奏の胸に抱き寄せられる。

細身の体に似合わない奏の筋肉質な胸板と腕に、和奏の胸が鼓動を早めた。

「・・・す、すみませんでした」

つかんだ腕を所在なさげにゆっくりと離し、顔をあげると、予想外に奏の顔が近くにあった。

「案外ドジなんだね」

目を細めて笑う奏の身体の温かさに、なんとなく安心感を覚える。

「お酒が入ると転びやすくなるんです」

「じゃあ、また和奏さんを飲ませれば、こうして役得が得られるのかな?」

「桜坂CEOは女性に不自由しておられないでしょうから、他を当たってください」

そっと胸を押し退けた和奏は、冷たい言葉を口にしながらも、ニコリと不敵に微笑んでフラフラと歩き出す。

「ほら、置いていきますよ」

すでに待機していたタクシーを見つけると嬉しそうに振り向いて手招きをする和奏は、幻想的で美しかった。

「奏さん、早く」

特別な意味はない、ただタクシーに乗ろうと言っているだけなのに、抗えないこの感覚は何なんだろう。

とりあえずは、顧問弁護士にするという、第一段階突破。

あと少し、マンションにつくまでの間だけでも、このレアな彼女とやらを観察しよう

珍しく浮かれた気持ちになった奏だが、いつもと変わらないポーカーフェイスで和奏のあとに続きタクシーに乗り込んだ。




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