夢はダイヤモンドを駆け巡る

第5話

 だからだろうか。

 小神が発言した直後、教室のどこかから小さな、押し殺したような笑い声が――それも嘲笑と受け取れるような笑い声が漏れ聞こえてきた。

 それも一人ではない。
 少なくともわたしの耳には二人以上の人間が笑っているのが聞こえた。

 どうしてだろうか。

 わたしは小神のことが嫌いでならない。

 小神の「私」という一人称にいら立った経験があることも認める。

 だというのに、このクスクスという嘲笑を聞いていると、無性に腹が立つ。

 それはおそらく、陰で小神に見えない所でなされる嘲笑だからだろう。

 とはいえ、わたしも小神に隠れて友人に愚痴を言ったためしがあるのだから、彼らを非難する権利はない。そのことが、余計にもどかしい。

 とか何とか考えていたのだが、ふと小神を見ると、まったく彼らの嘲笑なんて耳に入っていないようだった。しれっとしている。一人称を直すだろうか、とわたしが小神を見ていると、小神はこう言った。

「あまり固く考えなくてもいいと私は思うのですが、どうでしょうか」

……やっぱり、一人称は変えなかった。

 多分意地で「私」を使っているのではなく、本当に笑い声が聞こえていないのだ。

 全く動じた様子がないことからもそれがわかる。

 小神の言葉に、司会者は首を捻った。

「それってもっと具体的に言うと、どういうことかな? 同じクラスから副委員長を選んでもいいということ?」

「それもありますが、上下関係を気にせず、後輩が副委員長になってもいいのではないかと思うのですが。現に今の二年生の中には先輩に対して一切敬意を払わないといったタイプの生徒もいます」


……あ……あれ? ちょっと待てやー!


 わたしは心の中で叫ぶ。

 嫌な予感しかしない。

 これはどう考えても、

「私は二年四組の星野さんを推薦しようと思います。彼女なら先輩相手にも物怖じせず仕事が進められると思いますし、私との面識もあり相性もいいです。もはや相棒と言ってもいい領域に達した仲ですので」

とか言い出す流れでは?

 びくびくしながらわたしは松本くんの蔭に隠れるように縮こまった。こんなところで副委員長に任命されてなるものか。わたしは絶対の絶対に小神と組むわけにはいかないんだから――と。

 ひたすら姿勢を低く、目立たぬようにという努力を無駄とは知りつつも行っていると、わたしの隣で影が動いた。

「すみません、僕はその意見には賛成しかねます」

 松本くんの声が、いつになく力強く教室に響いた。見ると、松本くんは挙手したまま、小神の方ではなく司会者の方をまっすぐ見据えている。

 ここで松本くんがタイムリーヒットといわんばかりの助け船を出してくれたことにより、わたしは姿勢をもとに戻すことができた。

 司会者はやや戸惑いながら、名簿と思しき紙を慌てて拾い上げた。

 自己紹介したばかりのため、一人ひとりの名前までまだ把握しきれていないらしく、

「えーっと、君は二年の会計委員の……」

「松本と言います」

 すぐに察した松本くんが名乗り上げると、

「松本くんですね。それでは意見を聞きましょう」

司会者はほほ笑み(さっきとほとんど同じほほ笑みだ)、発言を促した。

「僕は副委員長は一、二年がすべきではないと思います。前副委員長さんの例のように、いくら既知の仲でも仕事がしにくいことに変わりはないと思います。何も仕事相手は委員長だけではなく、他の三年生も相手なわけですから、絶対に遠慮が出てきてしまうんじゃないでしょうか」

 拍手喝采ものだった。わたしなんかは今すぐスタンディング・オベーションで彼を讃えたいほどだった。他の一年生や二年生にしてもその思いは変わらなかったはずだ。

 松本くんの発言には他の人々を納得させる落着きがあった。

 間髪いれず、教室の各方面から、「僕も同じ意見でーす」「賛成―」といった声が上がりだす。

 司会者は数度頷いてから、

「――という意見がありますが、小神くん、そういうことでいいかな?」

 小神はゆっくりとした動作で松本くんを振り返った。そして彼と目と目をしばし合せてから、

「いいでしょう。それでは三年生の中から副委員長を選出しましょう」

と大人しく従った。

 そこで見た光景を、わたしはにわかには信じることができなかった。自分で自分の目を疑わざるを得なかった。

 というのも、その時の小神の口元には、どう見ても微笑としか表現できない表情が浮かんでいたのだから。

 いつも無表情の小神の顔の上に初めて見た表情の変化――あれをわたしはどういう意味で受け取っておくべきだったのか、その時は知り得るはずもなかった。
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