この溺愛にはワケがある!?
それから進水式は華々しくフィナーレを迎える。
船主の妻が赤と白の支綱に勢い良く斧を振り下ろすと、美織の心配をよそに綱は一度で切れた。
それと共に船体に叩きつけられたシャンパンが割れ、船首に取り付けられた薬玉が割れた。
7色の紙吹雪が降り、風船が空へ舞う。
そして威勢のいい音楽に押されて船は海へと進水した。
コバルトブルーの海へと航海の第一歩を踏み出した船。
それは、夢のような光景だった。
聞くのと見るのとでは随分違う。
古来から《百聞は一見にしかず》というのは事実だったのだと、美織は身を持って知った。
この地域に住んでいるものならば、進水式という言葉は当然のように知っている。
だが見たことのある者となると途端に数が少なくなるのだ。
今は学校の授業や公募で、進水式の見学がなされているらしいが、それでもこれ程間近で見ることはそうはない。

「………きれい……」

美織はポツリと呟いた。
決して語彙力を失くしていたわけではない。
それ以上の言葉は必要なかったからだ。

「その中に立つみおも綺麗だけどね」

隆政が真顔で言った。
またバカなことを……と言いかけて美織は口をつぐむ。
この素晴らしい気分の中、否定的な言葉は相応しくない。

「ありがとう」

美織は舞い落ちる紙吹雪を両手で受けながら、素直に感謝の言葉を述べた。

「本当に綺麗だよ……」

小さく隆政が何かを言ったが、それは音楽と汽笛に消されて美織には届かなかった。
だが彼は満足したように笑うと、次に向かう懇親会場へと美織をエスコートして行くのだった。


船主一行と行政と真田は貸しきりのバスで黒田造船所有のホテルへ移動する。
他の来賓はそれぞれの車で向かい、隆政と美織は行きと同じく社長専用車で移動することになった。
斧を渡す簡単な仕事を終えた美織は、これからの予定を隆政に聞いた。

「この後は何かすることあるの?私の仕事はある?」

「あるよ。花束を渡す簡単なお仕事が」

「花束!?誰に渡すの?」

「劉さんの娘にだよ」

進水式で劉社長夫妻の後方に立っていたオリエンタルな美少女。
それが娘なのだろうな、と美織は頷いた。
彼女はセレブに相応しく、美しく上品でとても社交的に見えた。
ああいう人が本来セレブといわれる人で、美織などどう考えてもその中には入れない。
いや入るのは勘弁してもらいたいのだが、もしも……。
もしも隆政と結婚することになったら、避けては通れない状況になるのではないか?

(いや、私にそんなセレブ生活は無理よ。平屋で十分です)

と考えてしまい、隣に座る隆政にまた思考を読まれるのではとビクビクしつつチラリと様子を伺った。
だが彼はスマホをチェックしていて、美織の考えに気付いた様子はない。
安心した美織はシートに深く腰をすえ、ピンと伸びた背中をゆっくりと預けた。
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