流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語

   ◇ ある家族の物語 ◇

 かつてナポレモの城に住んでいた王家に一人の姫がいたことすら誰も思い出さなくなった頃、遠くの村に一人の旅の男が流れ着いた。

 五月、収穫期前の小麦畑は一面に青く、ヒバリのさえずりが風に乗って遠くから流れてくる。

 街道を外れた男は村の隅に立つ粗末な小屋に向かって歩み寄った。

「ごめんください」

 中から出てきたのは栗色の髪に意志の強そうな目をした五、六歳くらいの少年である。

「こんにちは。こちらに聖女様はおられますか」

「ママなら森に薬草を採りに行ってるよ」

「そうですか。実は私の村で疫病がはやっておりまして、聖女様のお力をお借りしたいと思って参ったのですが」

「じゃあ、おじさん、ここで待っててよ。すぐに帰ってくると思うから」

 男はまだ二十になったばかりで、おじさんと呼ばれるのは心外だが、子供の目からすればそう見えても仕方のないことだった。

「では、そうさせてもらいます」

 中に招き入れられた男は質素な小屋を見回して、少年が勧めてくれた椅子に腰掛けた。

 奥の調理部屋から少女が湯呑みをのせたお盆を運んでくる。

 どうやら少年の姉らしい。

「生姜湯をどうぞ」

「これはありがとうございます」

 旅の男はありがたく生姜湯を味わった。

 長旅の体に温かな液体がじんわりと染みこんでいく。

 少女は丸い額にかかった金髪をかき分けながら旅の男に話しかけた。

「おじさんはどこから来たの?」

「ああ、東の方のホグランという村だよ」

「へえ、遠いのね」

「知ってるのかい?」

 男は驚いた。

 歩き続けて丸一週間はかかる土地なのに、こんな少女が知っているとは思えなかった。

「ちょっと変わった屋根の教会があるんでしょ。作っている途中で崩れちゃって、形が変わっちゃったんでしょう」

「ああ、よく知ってるね。そうだよ。聖フラメンテ教会だよ」

「パパがね、この間行ってきたって話してた」

「へえ、そうなのかい」

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