流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
 部屋の隅にしゃがみ込んで、膝を抱えてあごをのせた。

 することは何もない。

 ただじっとしているだけだ。

 楽隊の奏でる夜想曲も吟遊詩人の語るロマンスもここにはない。

 納屋は隙間だらけで、風に乗ってどこからか料理の匂いが漂ってくる。

 野菜を煮込んだスープだろうか。

 甘い香りが部屋に満ちていく。

 エリッヒがパンを投げてよこす。

 エミリアの足先に当たって床の上を転がっていく。

「夕飯だ」

 手を伸ばしてパンを拾い上げる。

 砂をはたいてちぎって口に入れる。

 酸っぱい味の苦いパンを喉に押し込もうとするが、詰まって息が苦しくなる。

 エリッヒが水筒を放ってよこした。

 チーズも果物もない食事は初めてだ。

 城を出る直前までいつもと同じものを食べていた。

 もうあの恵まれた生活には戻れないのだろうか。

 どこかから流れてくる田舎料理の匂いだけがおかずだ。

 空腹のエミリアにとってはパンと水だけの食事もごちそうであったが、やはりわびしさを感じずにはいられなかった。

 シュライファーならなんとかしてくれただろうか。

 彼自身も今はそれどころではないだろう。

 無事にナヴェル伯父の領地まで逃げられただろうか。

 そのことで伯父にも火の粉が降りかかるかもしれない。

 いつまでも子供でいてはいけないのだ。

 一人でなんでもできなければならない。

 贅沢を言ってはいけないのだ。

 エミリアは必死にパンを飲み込んだ。

 食後にエミリアはたずねた。

「湯浴みをしたいのですが」

「したけりゃ外の井戸で体を拭け」

「馬ではないのですよ」

「ここではそういうやり方なんだよ。お城じゃないんでね」

「着替えは?」

「ねえよ」

 まあ、とあきれ顔でエミリアがエリッヒに詰め寄る。

「なんの支度もできていないではありませんか。すぐに用意しなさい」

「何度も同じ言い争いはしたくないんですがね。ここにそんなものはないし、フラウムに着くまで着替えなんか必要なかろう」

「では、せめてブラシだけでも」

 男が鼻で笑う。

「馬用のか?」

 エミリアは会話をあきらめてまた部屋の隅でうずくまった。

「俺は馬の手入れをしてくる。先に寝てろ」

「眠くはありません」

「昼間あれだけ寝てればな。だが、明日は朝早く出発だ。寝ぼけてやがったら馬にくくりつけてでもつれていくからな」

 エリッヒは道具を入れた袋を持って部屋を出ていってしまった。

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