流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
 男が目を見開いた。

 背中に矢が刺さっている。

 見上げると、逃げた馬を捕まえたのか、さっきまで反対側にいたはずのほおひげの男が馬上から矢を構えていた。

 微妙な間合いを保ったままこちらを見おろしている。

 相手が矢を放てばその瞬間無防備になる。

 敵もそれを分かっているから射ようとはしない。

 かといって、こちらから飛びかかろうとすれば、よける間もなく胸を射貫かれてしまうだろう。

 降りしきる雨の中睨み合いが続く。

 こちらから仕掛けることはできない。

 動いた方が負けだ。

 相手の出方を待つしかなかった。

 そこらの盗賊ではない。

 人を狩ることに慣れた連中だ。

 空を閃光が切り裂く。

 次の瞬間、大地を揺るがす轟音が草原を突き抜けた。

 馬がいななき、後ろ足で立ち上がる。

 敵は弓矢を捨てて手綱を握ると馬を走らせて街の方へ逃亡した。

 再び落雷が空を走る。

 エリッヒはエミリアの元に駆け寄った。

「大丈夫か」

 鼻にも口にも泥が詰まっていて、彼女は気を失っている。

 指で顔をぬぐってやると、切れた唇の端からは血がにじみ出して、白い肌には青痣ができていた。

 エミリアは咳をしながら泥を吐き出した。

 顔の痣がまた泥にまみれる。

「おい、しっかりしろ」

 彼女の体が冷え切っている。

 エリッヒはエミリアを背負って敵とは反対方向に草原を駆けだした。

 ああ神よ!

 なにゆえにこの女に過酷な運命を背負わせるのですか。

 この女を救うことが神の御心に反するというのなら。

 俺はむしろ絶対にこの女を離したりはしない。

 雨脚は弱まることなく水たまりが深くなっていく。

 何度も泥に足を取られそうになりながら彼は草原の中を走り続けた。

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