この人だけは絶対に落とせない
緋川 貴美(ひかわ きみ)は、先日元彼に似た男性をコンビニで見かけた事を思い出したが、一瞬で排除し、全てシャットダウンするために、溜息をつきながら、まだ15時にも関わらず、缶酎ハイのプルタブを開けた。
「……はぁ……」
平日だというのに、シフト制のおかげで休日。1人、自宅で飲む酒は甘いだけで、美味しくはない。
大学卒業し、就職後3年で合コンで知り合った男性とすぐに婚約、しかし結婚を待たずに破局。
結婚式の段取りの中で性格が合わない事に気づき、お互い納得の上、婚約を解消した。
それから、1年になる。その間に、特に出逢いはない。友達とのランチや旅行にはそれなりに励んできたし、仕事もそれなりにしてきたおかげで、一部上場企業、ホームエレクトロニクスの本店の売り場で販売の仕事をさせてもらえている。
この1年間、仕事が楽しかったのかといえば疑問だし、忙しすぎたのかと聞かれればそれも疑問だ。
何か理由があったからこそ、彼氏が出来なかったのだと思ってはいるが、しっくりくる理由がなく、ただ気付けば1年経っていた、というだけだった。
来年は27歳。すぐに結婚してみせる…と、毎年気持ちだけは思っている。
まだ27…いや、もう27。勤務地である東都シティ本店内でも若い男性はたくさんいるが、自分自身がバツイチのような身だと思うと、あの時何故早まったのか、人生に失敗したみたいで激しく嫌になる時もある。
だが、そんな時はいつも決まって、連絡する場所がある。
「……もしもし」
『はいはい、なんでしょう』
安定の陽気さだ。
「……ちょっと話聞いてほしいなと思って」
『飲んだまま電話かけてくるのやめなさいよ。……まだ15時でしょ? まさか仕事中?』
相手は半分笑った。
「なわけないです……」
『あー…。20時くらいなら大丈夫かな』
「はい…お願いします」
電話の相手、三島 光弘(みしま みつひろ)は精神科医だ。別に自分の精神は病んでいるわけではない、と思っていたが、一時ちょっと心配になって相談に乗ってもらった。
元はただのお客の1人で、自宅にマッサージチェアを置きたいと随分熱心に商品説明を聞いてきたのがきっかけだった。
商品販売担当の緋川は、たまたま三島を接客し、たまたま精神科医だということを会話の中で知った。
婚約解消したてで、なんとなく眠りが浅くなっていた気がして、ひょっとしたら自分は鬱なんじゃないかと思っていたばっちりのタイミングだった。
商品契約後、三島を入口のエントランスの外までわざわざ見送り、最後の最後までこの人に本当に相談していいのかどうか迷ったが、それでも誠実そうで、それでいて愛想の良い人柄に惹かれて精神病院を紹介してほしい、と唐突に切り出した。
「、え? あなたが?」
三島は驚きながらも、明るく返してくれる。
「まあ…そんな、普通だと思われると思いますけど…」
どんな症状が出ているのかと聞かれれば、少し眠りが浅い程度だし、それで鬱だとは言い過ぎかもしれないけど。
最近は他の店でも鬱で長期休暇を取っている人もいると聞くし、自分もそうなりえないとは言い難い。
「あ……なるほど」
三島は何がなるほどなのか、つと思い出し、財布から一枚の名刺を抜き出してきた。
「医者は名刺なんて使わないけど、持ってて良かった。はいどうぞ」
西都総合精神クリニック 三島 光弘
後は病院の住所と電話番号だけだ。
マッサージチェアを届ける住所は西都寄りの東都だったが、おそらく勤務先まで一時間近くかけていると思われる。
「西都の方だけど。精神科専門の病院。聞いたことあるかな?」
「あ、名前はあります。場所は…」
「山手の方だけどね。国道からは近いから。僕が診察してるのは火曜日と木曜日。けど…行きづらい?」
「…………いえ、その…頑張って行ってみます」
と、言うしかない。けど、そんな精神科の大きな病院に行くのは到底気が引けるし、逆にその勇気によって心が病みそうだ。
「はは、まあ行きづらいよね。ただのカウンセリングだけでいいなら、…ここでどうぞ」
今度は黄色い名刺が出て来る。いや、ただのポイントカードだ。
「僕の知り合いがやってるカフェなんだけど、結構空いてるし、奥なら他の人の声も入らないから」
「カフェ…ですか?」
裏表見返したが、これは見せてくれているだけのようだ。ポイントカードにはハンコが半分ほど埋まっている。
「というより、商店街の喫茶店?」
笑いながら、やはりカードをしまってしまう。
「喫茶店にはいつでもいるわけじゃないから、予約制ですけど、簡単にカウンセリングぐらいならできますよ」
なんとも屈託のない、普通の顔だ。
「じゃあ……」
でも、どうしよう。それって病院を通しているんだろうか?
「まあ、良かったら、病院に電話下さい。三島さんに繋いでくださいって言ってくれれば…病院以外でもカウンセリングくらいは出来ますから。まあ、場所は喫茶店くらいが適当だと思いますけどね。えっとあ、あなたの名前は…」
名札を確認される。
「緋川(ひかわ)さんね。…じゃあ」
携帯番号を聞かない辺りが、本当にカウンセリングだけだと確信させる。
BMWのドアを開けた三島が乗り込んでいく。そこでようやく慌てて、
「今! 予約お願いします!」
と言った下りだ。
精神科医というものに、今まで出会ったことのない緋川だったが、三島は良さそうなスーツにストライプのシャツ、BMWといかにもモテそうだった。
しかも、背は高めで、肉付きもそこそこ、真ん中より左で分けた前髪はさらりと揺れる。切れ長の目はあまりこちらを見てはこないし、薄い唇は端正な醤油顔というのがぴったりくる。
精神科医でも外科でも、おそらく元が良ければモテるんだなと思い、それから5度カウンセリングをしてもらい、今回が6回目になる。
こうなれば、ただの友達にも似たようなものだ。最初に身構えて、まるで病院のように何から何まで洗いざらい打ち明けたのも良かったのかもしれない。
今、自分の周りで自分のことをこれだけ理解してくれているのは、三島しかいなかった。
「……はぁ……」
平日だというのに、シフト制のおかげで休日。1人、自宅で飲む酒は甘いだけで、美味しくはない。
大学卒業し、就職後3年で合コンで知り合った男性とすぐに婚約、しかし結婚を待たずに破局。
結婚式の段取りの中で性格が合わない事に気づき、お互い納得の上、婚約を解消した。
それから、1年になる。その間に、特に出逢いはない。友達とのランチや旅行にはそれなりに励んできたし、仕事もそれなりにしてきたおかげで、一部上場企業、ホームエレクトロニクスの本店の売り場で販売の仕事をさせてもらえている。
この1年間、仕事が楽しかったのかといえば疑問だし、忙しすぎたのかと聞かれればそれも疑問だ。
何か理由があったからこそ、彼氏が出来なかったのだと思ってはいるが、しっくりくる理由がなく、ただ気付けば1年経っていた、というだけだった。
来年は27歳。すぐに結婚してみせる…と、毎年気持ちだけは思っている。
まだ27…いや、もう27。勤務地である東都シティ本店内でも若い男性はたくさんいるが、自分自身がバツイチのような身だと思うと、あの時何故早まったのか、人生に失敗したみたいで激しく嫌になる時もある。
だが、そんな時はいつも決まって、連絡する場所がある。
「……もしもし」
『はいはい、なんでしょう』
安定の陽気さだ。
「……ちょっと話聞いてほしいなと思って」
『飲んだまま電話かけてくるのやめなさいよ。……まだ15時でしょ? まさか仕事中?』
相手は半分笑った。
「なわけないです……」
『あー…。20時くらいなら大丈夫かな』
「はい…お願いします」
電話の相手、三島 光弘(みしま みつひろ)は精神科医だ。別に自分の精神は病んでいるわけではない、と思っていたが、一時ちょっと心配になって相談に乗ってもらった。
元はただのお客の1人で、自宅にマッサージチェアを置きたいと随分熱心に商品説明を聞いてきたのがきっかけだった。
商品販売担当の緋川は、たまたま三島を接客し、たまたま精神科医だということを会話の中で知った。
婚約解消したてで、なんとなく眠りが浅くなっていた気がして、ひょっとしたら自分は鬱なんじゃないかと思っていたばっちりのタイミングだった。
商品契約後、三島を入口のエントランスの外までわざわざ見送り、最後の最後までこの人に本当に相談していいのかどうか迷ったが、それでも誠実そうで、それでいて愛想の良い人柄に惹かれて精神病院を紹介してほしい、と唐突に切り出した。
「、え? あなたが?」
三島は驚きながらも、明るく返してくれる。
「まあ…そんな、普通だと思われると思いますけど…」
どんな症状が出ているのかと聞かれれば、少し眠りが浅い程度だし、それで鬱だとは言い過ぎかもしれないけど。
最近は他の店でも鬱で長期休暇を取っている人もいると聞くし、自分もそうなりえないとは言い難い。
「あ……なるほど」
三島は何がなるほどなのか、つと思い出し、財布から一枚の名刺を抜き出してきた。
「医者は名刺なんて使わないけど、持ってて良かった。はいどうぞ」
西都総合精神クリニック 三島 光弘
後は病院の住所と電話番号だけだ。
マッサージチェアを届ける住所は西都寄りの東都だったが、おそらく勤務先まで一時間近くかけていると思われる。
「西都の方だけど。精神科専門の病院。聞いたことあるかな?」
「あ、名前はあります。場所は…」
「山手の方だけどね。国道からは近いから。僕が診察してるのは火曜日と木曜日。けど…行きづらい?」
「…………いえ、その…頑張って行ってみます」
と、言うしかない。けど、そんな精神科の大きな病院に行くのは到底気が引けるし、逆にその勇気によって心が病みそうだ。
「はは、まあ行きづらいよね。ただのカウンセリングだけでいいなら、…ここでどうぞ」
今度は黄色い名刺が出て来る。いや、ただのポイントカードだ。
「僕の知り合いがやってるカフェなんだけど、結構空いてるし、奥なら他の人の声も入らないから」
「カフェ…ですか?」
裏表見返したが、これは見せてくれているだけのようだ。ポイントカードにはハンコが半分ほど埋まっている。
「というより、商店街の喫茶店?」
笑いながら、やはりカードをしまってしまう。
「喫茶店にはいつでもいるわけじゃないから、予約制ですけど、簡単にカウンセリングぐらいならできますよ」
なんとも屈託のない、普通の顔だ。
「じゃあ……」
でも、どうしよう。それって病院を通しているんだろうか?
「まあ、良かったら、病院に電話下さい。三島さんに繋いでくださいって言ってくれれば…病院以外でもカウンセリングくらいは出来ますから。まあ、場所は喫茶店くらいが適当だと思いますけどね。えっとあ、あなたの名前は…」
名札を確認される。
「緋川(ひかわ)さんね。…じゃあ」
携帯番号を聞かない辺りが、本当にカウンセリングだけだと確信させる。
BMWのドアを開けた三島が乗り込んでいく。そこでようやく慌てて、
「今! 予約お願いします!」
と言った下りだ。
精神科医というものに、今まで出会ったことのない緋川だったが、三島は良さそうなスーツにストライプのシャツ、BMWといかにもモテそうだった。
しかも、背は高めで、肉付きもそこそこ、真ん中より左で分けた前髪はさらりと揺れる。切れ長の目はあまりこちらを見てはこないし、薄い唇は端正な醤油顔というのがぴったりくる。
精神科医でも外科でも、おそらく元が良ければモテるんだなと思い、それから5度カウンセリングをしてもらい、今回が6回目になる。
こうなれば、ただの友達にも似たようなものだ。最初に身構えて、まるで病院のように何から何まで洗いざらい打ち明けたのも良かったのかもしれない。
今、自分の周りで自分のことをこれだけ理解してくれているのは、三島しかいなかった。