初恋の花が咲くころ
鬼のリクエスト
咲に対する職場の人当たりがいきなりよくなったと感じたのは、初っ端からオフィス呼び出し事件から数日経ったあとだった。初対面で早くも鬼に目を付けられた咲を気の毒に思いながらも、どこか親近感を持ったのだろう。最近忙しいあやめが側にいなくても居心地悪い思いをしなくなった。
「成瀬さん、これ修正お願い出来る?」
今日も例外ではなかった。
今まで自分の仕事は自分で探せというルールでいた人たちが、少しずつ咲にも仕事を任せてくれるようになっていた。
「この前の資料もありがとう」
そう言って、足早に咲のデスクから離れて行くコミュニケーション取るのが苦手なひとたちを愛おしく感じ来てきた。咲は自分の顔がほころぶのが分かった。しかし、そんな心温まるいい気分も颯爽とオフィスに入って来た鬼の桐生のせいで、一瞬でぶっ飛んだ。
「おい、来月号のアクセサリーについて書いたやつ、オフィスに来い!」
そしてドカドカと自分の部屋へと足を進める。名前は呼ばれないものの、自分が呼ばれているのが分かった一人の社員は、今にも吐きそうな青白い顔をして立ち上がった。今から処刑台に行くという面持ちのまま、他の社員に見送られて鬼の待つ鬼ヶ島へと向かった。

「…いつもあんなに機嫌が悪いんですか?」
近くにいた先輩社員に小声で質問する。
編集長のオフィスのドアは閉まっている上に、中の声が外に漏れないよう防音もついているが、どこかで聞かれたら恐ろしいので編集長がいる間は、常にみんな小声で話しをしていた。
「ああ。ここに異動になった時から、ずっとあんな感じだよ。社長の息子だかなんだか知らないけどさ、26歳っていう若さで編集長を任されているからか、常に上から目線で、俺たちの意見も聞きやしない。あれぞワンマンって感じの態度。俺たちの名前も覚えてないんじゃないか?」
「そうなんですか…」
「お前も、あまり目立たないように頑張れよ」
先輩の助言をしかと受け止める。
ライターの経験が皆無のため、ちゃんとした仕事は何ももらえない。少しずつ雑用の仕事を覚えて来たばかりだ。タイミング悪い場所にいさえしなければ、きっと平穏に過ごせるだろう。
なんて、そんな願いは届かなかったようだ。
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