恋、花びらに舞う
「レースで世界を目指す若手は多い。彼らに、俺が持っているものを伝えたい」
「スタッフは集まったの? 講師はあなただけってこと、ないわよね」
「講師陣は問題ない。事務局は日野が仕切ることになっている」
由梨絵もバルセロナで会った日野智之は、和真の古い友人であり信頼を寄せる人物である。
日野が中心になって動いてくれた、アイツには副校長をやってもらうつもりだというと、由梨絵は安堵した顔になった。
曖昧な計画のままスタートしたと思っていたのだろう。
ここで日野の名前を出して由梨絵を安心させたのは正解だった。
由梨絵の日野への信頼度は高い。
「日野さんが副校長、あなたがスクールの校長ね。私の役目は、スクールメンバーの相談相手かしら」
そんなところだ、と言い、ふふっと笑った和真は由梨絵の肩を緩やかに抱いた。
「だけど、なぜ急に監督をやめる決心をしたの? 一位を獲ったから? あっ、でも、決めたのはレース前だったわね。どうして?」
「なぜって……タイミングだよ、タイミング」
抱きしめる腕に力を入れた。
着付けが崩れる心配をする由梨絵にかまわず、胸元に手を差し入れる。
レースチームが所属する会社の開発チームの芹沢圭吾が現れた、これからも由梨絵に会う機会はある、それが嫌だから……とは絶対に言いたくない。
もちろんほかにも理由はあるが、芹沢圭吾が決心の理由の一つであることを口にするのは、プライドが許さない。
レーシングスクールを作るのが夢だった、手伝ってくれと由梨絵の耳に語り掛けながら胸に手を置いた。
和真のいたずらな手をはずしながら、着崩れるからダメよ、とたしなめる由梨絵の声は甘い。
「スクールはどこに作るの? サーキットの近くよね」
「ゆうの地元だ。そこに、仕事と生活の拠点を移す。家探しを手伝ってくれないか」
「いいけど、マンションがいいの、それとも戸建て? 事務所兼自宅だったら、それなりの広さがいるわね」
「ゆう、一緒に住まないか」
「そうね……考えとく」
いいわ、そうしましょう、との返事を期待していた和真が、内心がっかりしたことなど気がつかない由梨絵は、そろそろ行きましょうかと促した。
「スタッフのみんなには、いつ伝えるの? マスコミには?」
「これから言う。先にゆうに言いたかった」
「もっと早く言ってよ。でも、一番に言ってくれたから許してあげる」
その夜、チームの優勝を祝う席に桜柄の訪問着の由梨絵を伴った和真は、終始笑顔だった。
翌日、ベルギーグランプリの優勝を大きく伝える日本の新聞の片隅に、朝比奈和真の監督引退を伝える小さな記事が載った。